さよならの魔法



思い出すのは、幸せだった頃の記憶ばかりだ。

戻れない頃の記憶ばかりだ。



思い出すだけでも、つらいのに。

更に心に傷を刻んで、それなのに、また思い出している。


戻れない過去。

そんなものにしか、縋れない。





春休みは家に籠って、外に出ることすらなかった。

外どころか、部屋の外にすら出なかった。


現実の世界は、夢みたいに甘くない。

私に優しい世界は待っていてくれないと、頭のどこかで理解していたから。



「またあの子、学校に行かないって言うのよ!?あなたも、何とか言ってやってよ!」

「………お前が騒いだところで、仕方がないだろう。」

「そんなこと言って!あなたがそんな風だから、あの子は学校に行かなくなるんじゃない………。」

「ハルに聞こえたら、どうするんだ?もっと声を………」

「聞かせてやればいいのよ!父親が厳しくなくて、どうやって子供を育てるのよ!?」



部屋の外に出れば、思い知る現実。


私が学校に行かないことで喧嘩を始める両親を、私は視界に入れたくなかった。

視界に入れて、その現実を受け入れなければならないのが苦痛で堪らなかった。



私が逃げ出したのは、紺野くんからだけじゃない。

いじめからだけじゃない。


私は、両親からも逃げている。

立派な不登校児になってしまった娘をよく思う親など、どこにもいないのだろう。




桜が散る。

世界を薄紅で染めていた花が消え、別の色が新しく世界に色を塗る。


学校に行かないまま、4月が終わって。

大型連休も終わった、5月の中旬。


私の前には、小言を漏らす母親がいた。










「また、あんたって子は………こんな時間に起きてきて!今、何時だと思ってるの?」

「………。」

「今日も、学校に行かないつもりなのね。」


小言をつらつらと並べながら、冷たい料理を出すお母さん。


湯気なんて、立ってもいない。

冷蔵庫から出された料理は、私の心と同じ温度だ。



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