真夜中に口笛が聞こえる
◇第六章 アサガオ
 暫く、高崎一家には、安呑とした生活が続いた。

 何かが起こるのではないか、などと不安にもなったが、ゴミ置き場や、猫の死骸の件などの異変が、まるで嘘のようにさえ感じられるほど、何気ない静けさが続く。

 やがて若い夫婦は、とうとうその事を忘れ、規則正しい毎日を過ごすようになった。


 そんな静寂を狂わせたのは、ある日の夜の出来事であった。


「ねえ、信ちゃん。何、あれ?」

「うん?」

 公園の方から、口笛が聞こえて来た。楽しげで朗らかで、抑揚のあるメロディーが、高崎家の食卓に飛込んできた。

「洋楽か? 日本のポップスかな」

 この日の夕食は肉じゃがだった。信一郎は柔らかいジャガイモに刺したまま箸を止め、耳を傾ける。


「知らないわよ。でも、白河さんかな」

「そうだな、多分……」

「公園で何しているのかしら」

 美咲はテーブルに肘をついて、顎を支える。

 美佳は音も出さずに、黙々と食べている。

「美咲、食べる時に肘を付くなって。美佳が真似をするだろう。それに、──公園なんだから、白河さんが居たっていいじゃないか」

「でも……」

 美咲は肘を付くのを止め、美佳の頭を撫でた。

「気になるなら、そこの窓から覗けばいいよ」

「やだ、すぐそこにいたら、目が合うじゃない」

 美咲は驚いたように瞳を開いて、信一郎の方を睨む。

「あの公園は、何もウチだけのものじゃないんだから、そんなに気にする方がおかしいよ」

「そうだけど……」

 信一郎は食卓のジャガイモとご飯を、パクパクと口に放り込む。美咲は窓に視線を向け、口をほんの少し尖らせた。

「おかわり」

「えっ?」

「おかわり頂戴」

 腕を伸ばして、美咲の顔の前まで、空になった茶碗を差し出していた。

「ごめんなさい」

 傍らにある炊飯器から、ご飯を盛った。
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