優しい爪先立ちのしかた
旅館の中にも部屋にも嶺の姿はなかった。
もう帰ってしまったのかもしれない。いや、先ほどの騒動をどこかで見ていたのかもしれない。
栄生と梢の二人で色々な可能性を考えたが、何かが口から出ることはなかった。
小さなくしゃみをした栄生の肩に薄い毛布を掛ける。
「どうしますか、会の方」
「もう帰る。お父さんに言ってくるから、帰る用意しておいて」
「俺が行きますよ」
「さっきの今でしょう。梢が行ったらまたあの場所が沸く」
着替えるから、と襖を閉めた。閉め出された梢は静かに帰る準備を始める。栄生の読み漁った本を積む。荷物の殆どが本。
童話も小説も図鑑も辞書も、一式持ってくる必要があるのだろうか。先ほど見えた中身はフランス語だった。
…だからフランス語の辞書?