あなたと私のカネアイ
 * * *

 その日の仕事は滞りなく終わった。
 お昼ごろには瞼の重たさも随分楽になって、同時に気持ちも軽くなった気がする。
 日常というのは、乱れた心も整えてくれるものなのだと改めて感じた。

 そうだ。昨日がイレギュラーだっただけ。
 ちょっと、感情的で不安定になっただけだ。もう大丈夫。

 帰りの電車もいつも通り。
 すでに歩き慣れた家路を進む。 
 玄関の鍵を開けて靴を脱いでいると、音を聞きつけて円がやってきた。

「おかえり、結愛」
「うん、ただいま」

 スリッパを履いたところで抱き寄せられて軽く唇が合わさる。
 おかえりなさいのキスはいつも通りだ――そう思ったら、ホッとして頬が緩んだ。

「あっ! ち、違う」
「何が違うの?」
「あ、いや、あの……な、なんでもない!」

 思わず声に出して湧いてきた安心感を否定してしまった。
 不思議そうな顔をする円に向かって首を横に振り、部屋へと駆け込む。
 ちょっと、油断しただけ。いつも通りがいいなって思ってたから、つい流されちゃっただけ。別にキスが嬉しかったわけじゃない!

 荷物を置いて床に座り込み、私は大きく息を吸ったり吐いたりしつつ、思考を巡らせた。
 
 キスの攻防は負け越してるし、勝負しようとするから悔しいんじゃなかろうか。
 だったら、もうキスは割り切ろう。
 円にはちょっとした弱みも見せちゃったわけだし、ここは開き直った方が心の平穏に繋がるんじゃないかな。

 ……うん。大丈夫。
 
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