梅林賀琉
ある日、夕飯のライスカレーを食べすぎて、お腹を下したぼくはいつものように玄関をとび出して厠(かわや)に入ろうとした。
便所ではなく、厠という時点で日本昔ばなしという感じだ。しかし、この時すでに日本のおとぎ化は進んでいたのだから仕方ない。
少なくともぼくの近所は皆、外に便所があった。古来、下に川が流れていて、そこに便所を設けた場所のことを主に厠と呼んでいた。
それゆえ、「厠」は「川屋」からきているらしい。
おとぎ化が急速に進行した現代の日本において、機能は最新式の水洗便所であっても昔のように母屋からわざわざ少し離した場所に設けて、厠と世間の人は呼ぶのであった。敷地が狭い家は改築してまで、厠を母屋から離して建てたのである。水洗機能が充分に与えられている便所をどうしてわざわざ母屋から離して、外見だけ古来の厠のようにしたのか。
しばらく頭の中をクエスチョンマークが占領するかもしれない。
しかし、それはおそらく科学の合理的かつ現実的な考えに相反するようなが考えがおとぎ化によって、こういったかたちで顕れたのであろうとぼくは考えている。これは、あくまでぼくの持論である。学者でも研究者でも、専門家でもないぼくはこれ以上の深い考察はできない。
だが、実際におとぎ化の進行によって多くの識者を悩ませているのは事実である。
さっそく、物語りとは別個のおとぎ論のようなことを織りまぜて述べてしまったが、話を実際にぼくの身に起こったことに戻そう。
その厠に入ろうとした時だった。玄関を出てすぐ左側にあるのがわが家の粗末な造りの厠である。
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