ロング・ディスタンス
「先生」
 栞が彼の背中に声を掛ける。彼はすっかり、彼女が車に乗り込むものだと思い込んで、車のキーをポケットから取り出している。
「何だ」
 神坂は振り返ってたずねる。
「私は行きません」
「どうした? 仕事で疲れているのか?」
 彼の問いに、栞は静かに首を振る。
「俺のことなら心配するな。家にはいつものように夜勤だと言ってあるから」
 彼の不規則な勤務形態は、家を空けるためのかっこうの方便となっていた。彼は再び彼女を促す。
「先生。私は行かないと言っているのです。どうかお帰りください」
 栞の意外な言葉に、神坂は驚いた表情を浮かべる。これまでの彼女が自分の誘いを拒んだことはなかった。
「何だって?」
< 100 / 283 >

この作品をシェア

pagetop