ロング・ディスタンス
 栞はたちまち神坂に夢中になったが、彼は既婚者だった。彼の妻は、市内の医療機関を総べる医療法人グループの令嬢で、自身も精神科医として夫とは別の医院に勤務している。舅の存在が、彼の出世に大きく関わっているらしい。夫婦には子どもも二人いる上に、彼にはそういう事情もあって、彼との結婚は望むべくもないことは栞自身もわかっている。

 神坂と付き合い始めて以来、幾つもの切ない夜を彼女は過ごした。たくさんの涙を流した。未来のない関係を続けていくことが辛かった。

 けれど、会えば全てを忘れられた。
 会って互いの体を重ねれば、煩わしいことは全て吹き飛んだ。この瞬間さえあれば、何もいらないと思った。その気持ちも、一歩ホテルの外に出れば消えてしまい、すぐにいつもの不安に襲われるというのに、どういうわけかそれは麻薬のような常習性があった。
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