ひよりの恋日和
第1話 「ひよりの人生論」
『ねえ、日和。こっちで私と一緒に暮らさない?』

母さんが亡くなって三週間が過ぎた。これからどうしようかと悩んでいる私のもとに、もう何年も会っていない姉から連絡があった。特に行く宛もない私は、その提案に了承の返事をした。そして引っ越しは早い方がいいと喜びながら話していた姉の手伝いもあり、私は今、姉の住む家に向かっているところである。地図を片手にさっきからこの辺をうろうろしているのは、地図が示す場所には怪しげな建物しかないためだ。
「まさか、ね……」
そびえ立つ屋敷を見上げる。古びていて、どんよりとした空気が漂っている。いかにもお化け屋敷、という風な風貌である。とりあえず門を開けて表札を確認しようと、門に手をかけたその時。

「やっべ!そこの人、ちょっとどいて!」
「え、」

私は、彼と出会ったのだった。

第1話「ひよりの人生論」

誰かの忠告も虚しく、私と門の上から飛び降りてきた人物は見事にぶつかった。「いった……」と小さく声を上げると、少年はものすごく心配そうに私のを見た。
「大丈夫か?!ほんとごめん!」
「う、うん。大丈夫……」
ほんとに全力という感じで謝ってくるものだから、なんなの!と怒る気も全くなくなっていた。彼に差し出された手に掴まり、立ち上がると、彼は親切に門を開けて案内してくれた。やっぱりここは豹堂家らしい。
「あんた、桜子さんの妹だろ?俺らの"お嬢"!」
「姉さんを知ってるの?というか、"お嬢"って……」
聞きたいことはたくさんあるが、入り口の前に姉さんが立っているのを見つけて、私は姉さんに駆け寄った。
「姉さん!」
「日和。久しぶりね」
十数年会っていなくたって、わかる。この人は私の大好きなたった一人の家族。私の、姉さん。ぎゅっと抱きつくと抱き締め返してくれた姉さんに、本当にここに住んでいるのか問えば、もちろんよと笑われた。
「千尋はどこに行こうとしてたの?あなたも来なさい」
「おう、そのつもり!」
姉さんに手招きされた彼は嬉しそうに笑いながら私の横に並んだ。


どうして豹堂家に知らない人がたくさんいるのだろうか。スーツ姿の会ったこともない人たちは、みんな姉さんに頭を下げていて、私に「お嬢、お帰りなさい」と投げ掛ける。しかしあいにく、私は彼らの言う"お嬢"になったつもりはない。一体なんなのだろうか。
「ここよ、日和。紹介したい人達がいるの」
突き当たりの大きなドアを開けると、そこには応接室のような雰囲気の部屋が広がっていて。父さんはこんなに金持ちだったのか、と驚愕するばかりだった。
「みんな、集まって」
姉さんが声を掛けると、様々に自由なことをしていた人物たちが、全員こちらにやって来た。全員、私を不思議そうに凝視している。
「私の妹の日和よ。今日からここに住むわ。いろいろ面倒見てあげてちょうだい」
「ああ、桜子さん、"例の"?」
「……そうよ」
姉さんに話しかけた優しそうな青年は、そうですか、と柔らかく笑って私に手を差し出した。
「僕は猫塚模从。よろしくね、お嬢」
「豹堂日和です。よろしく、お願いします」
ん?いやいやいや。よろしくってなんだ。なんでよろしくしなくちゃいけない。
「ま、待って姉さん。これ、どういうこと?お嬢ってなんのこと?この人たちは誰なの?」
「ちゃんと一から説明するわ。落ち着いて」
姉さんに宥められて、私はソファーの一角に腰を下ろした。周りの椅子やソファーにも、全員が座る。
「……あのね、日和。言っていなかったんだけれど……あなたの小さい頃からの不思議な能力あるでしょう?あれと似たようなものをね、私も持っているの」
姉さんの言葉に心臓がどくんと脈をうつ。最近は現れなかった、あの、不思議な能力。人を傷つけてしまう、大嫌いなもの。
「日和は、あの力が嫌い?」
小さな時から、気づけば周りを傷つけていた。私の中に眠る強大な何か。私が怒りや悲しみを感じたときに勝手に溢れ出す。回りはふわりと雪が舞い、空気が冷え、人をどんどん傷つけて。その力は確かに私のものなはずなのに、私は自分で止めることができなかった。大切な人まで巻き込んで。幼い姉さんや、母さんや、父さんを何度傷つけただろう。母さんと父さんが別れたのは私のせいだ。私が、みんなを傷つけたから。涙が溢れそうになる。嫌いだ、こんな力。
「……嫌い。大嫌い」
やっと絞り出した声に、姉さんは「そう、」と小さく溜め息をついて。私の事をふわりと抱き締めた。
「日和、よく聞いて。もう、その力に悩む必要はないのよ。私たちはみんな、"同じ"だから」
「え……?」
私の頭を撫でながら体を話した姉さんは、ふっと笑顔を消して、真剣な眼差しで私を見つめた。
「母さんや父さんはね、病気や事故で死んだんじゃない。殺されたの……"龍ヶ崎春雄"に」
殺された…?そんなの、って。
「なんで警察に話してくれなかったの……?」
「警察は私たちの力を信じないからよ。だって……"印"の力は限られたものにしかわからないから」
「印?」
姉さんのいう言葉の一つ一つがわからない。一体姉さんは何をしているのだろうか。私は何に巻き込まれるのだろうか。
「私たちのこの不思議な能力……これは私たちだけが持っているわけではないわ。ここにいる、この"豹堂"の人間は誰しも少なからず印を持っているの」
姉さんは私に鏡を差し出した。促されるままに自分の顔を見てみる。私の顔はいたっていつも通りだった。でも私の目の少し下には。
雪の形の、小さな印があった。
驚きで鏡を床に落としてしまう。鏡は呆気なく割れた。謝ろうと姉さんの顔を見れば、姉さんの顔にも小さなマークがあった。さっきまで、なかったのに。
「姉さん、これって……」
「やっぱり、"見えて"なかったのね」
周りの人全員にも、マークが現れている。シールとか入れ墨とか人工的なものではなく―――本当に浮かび上がってきたような、重苦しい印。


「日和、あなたはね――100年に一度しか生まれない最強の印、"雪の印"の持ち主なのよ」

意味はよくわからないけれど、いいものではないことがわかった。姉さんの顔は無理して微笑みを作っていて、周りの人達も居心地の悪そうな顔をしていたから。それはそうだ。大切な人を傷つけたこの力が、歓迎されるわけがない。
「い、らない……っ、いらないよ、こんな力……っ」
私の手を優しく握ってくれていた姉さんの手を振り払って、私は立ち上がった。
「人を傷つける力なんて、いらない!」
「お願い日和、わかって!あなたの力が必要なの……!」
ああ、今やっとわかった。何年も会っていなかった姉さんが急に私を呼んだ理由が。姉さんは私の力が必要だったから―――私の最強の印とやらを使って、父さんと母さんの仇をとりたいから、だから呼ばれたんだ。どうしても大きな力が必要だから。私が……"私"自身が必要とされてるわけでもないのに。
「……もう私を巻き込まないで」
「え……?」
姉さんが悲しいような、驚いたような顔をした。それでも私は、構わず言葉を続けた。
「もう……必要とされないのは嫌なの……!」
「……!」
唖然とする人たちの間を抜けて、私は部屋から飛び出した。スーツ姿の人たちは、走る私を見てはどたばたと駆け回り始める。そんな様子もすべて無視して、私は大きな門を開けた。私の後をスーツ姿の大人が追いかけてくるが、生憎私は自分の足に自信があった。体育の授業よりも全力で走り、何とか大人たちを巻いた。

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