幕末の神様〜桜まといし龍の姫〜






「この組の剣……か……」






譲が退室した部屋で、トシが独り言を呟く。







しかしその言葉は俺の心にも深く突き刺さっているものだった。









自分たちは決して、譲を誰かを殺す剣に育てた訳ではない。









一種の護身術程度に教えていただけだ。








だが、譲はきっとそれ以上の信念を胸に剣術の稽古に励んでいたのだろう。









近藤は目を閉じる。







脳裏に浮かんだのは、江戸にあった大きな桜の大木の前で、酒を手向け、ぽろぽろと涙を流す幼い少女の姿だった。










きっと……譲には壮絶な過去があるのだろう。








自分たちはその過去を知らない。






きっと、想像を絶する過去だ。







それに加え、譲には苦労ばかりかけていた。





むさ苦しい男だらけの道場で紅一点。







本人は何も言わないが、辛い思いもしてきた。






とくにそれを実感した日があの日ーー。






譲が男装をするきっかけとなった夏の日。









近藤はその日、養親でもある周斎と、用事のため江戸を離れていた。






その期間に行われていることになっていた出稽古の責任者に近藤と周斎は譲を選んだ。







近藤の養女でもあり、剣の腕も試衛館で一、二を争っていたからだ。










しかし、近藤が江戸に戻り、出稽古の結果の話を持ちかけた途端、皆の表情が一瞬にして曇った。









しかも、よく見ると譲の姿が見えない。








何があったのかと問うと、土方が気まずそうに、どこか気に食わないというような顔で、事のあらましを話した。










出稽古の試合は先鋒から始まる形式で行われたらしい。








大将は譲が務めた。









だが。









譲に完膚なきまでにボロ負けした敵の大将が、譲が女であることを蔑んだのだ。









さらに、そのことを理由に出稽古代を半額にされ、もう二度と女がいる弱いところに相手を頼まないと罵ったのだ。










罵倒された土方、沖田、永倉の三人は真っ先に抗議したらしいが、受け入れられなかったという。









そして譲は……。








手から木刀を落とし、暫く放心状態だったという。









その話を聞いた晩、譲の部屋を訪れると、譲は懐刀を手にし、女の象徴でもある長く、美しい髪を切ろうとしていたのだ。








近藤は慌てて止めに入り、刀を振り落とすと、譲は堰を切ったように喚き始めた。









額を畳に擦り付け、叫ぶように泣いていた。








そして何度も口を開いては、上擦った声で繰り返される言葉。










『迷惑かけてごめんなさい。
女でごめんなさい』








桜の大木のもとで泣いていた日と、同じだった。








以来、譲はずっと男装を続けている。









譲にその旨を聞くことはもはや禁忌となっている。









今やその事の真相をしているものは限りなく少ない。









きっと譲は多くのことを秘めているだろう。












だかいつか……と近藤は思う。








譲自身が、己が身に起こった過去を、素直に全て話してくれる時まで待とう。








譲を見守ろう。










近藤は、土方の部屋を退室した。











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