幕末の神様〜桜まといし龍の姫〜

届かぬ想い






気のせいだろうか、総司からはほのかにお焼きのような香ばしい香りがした。





あと少しだけ、もう少しだけだからと、思えば思うほど、想いは募っていき、止まらなくなる。




総司の背中にすがりつき、行くあてのない感情が譲の中で荒ぶる。




叫びたかった。言いたかった。














―――――あなたが好きだと。












でも言ってしまえば、自分は止まらなくなってしまう。自分で自分を抑えることができないだろう。孤独でいることが辛く、我慢できなくなり、心の底から幸せを渇望するだろう。




だから、一線を引かなければらない。今なら、まだ間に合う。




譲は総司を抱きしめる力を込める。





(最後だから)





もう総司にこんなことはしない。こんな風に甘えたり、弱さを見せたりしない。



総司には未来がある。この隊の一番組組長としての、責務がある。



こんな自分のような明日の命もしれぬ女人と結ばれてはいけないのだ。必ず来るであろう別れが辛くなるから。




総司には絶対に、大切なものを失う悲しみを味わってほしくない。心身砕かれるような、絶望の淵に立ってほしくないのだ。




(何より辛いのは死ぬことじゃないわ。大切なものを失うことよ)




そう。自分が死ぬよりももっとも恐ろしいこと。己の信じていたものを、心から大切だったものがなくなること。



それは死よりも、何よりも恐ろしいことだった。人を生きながらにして死なせるようなものなのだから。そう、生きながらの死だ。




密着させていた身体を離すと、譲と総司は互いに顔を見合わせ、笑った。




「何だか……照れくさいわね。昔ならこんなことしても、何とも思わなかったのに」




照れ隠しのつもりで譲が言葉を口にすると、総司の譲の肩を掴んでいた手に力がこもる。



「もう……僕たち、子供じゃないよ」



夜風が出てきたのだろう。襖が夜の帳にごとごとと音を立てる。



譲が沈黙を守っていると、総司が詰め寄った。



「譲、お願いだから、無理しないで。君が無理しているのを見ると辛いんだ」





譲は首を振る。




「知ってるでしょ?私の性格。誰が何を言おうと、私は無茶をするわ。たとえ、総司に言われてもね。それに」



譲は総司から顔をそむける。



声が震えた。





「勘違い……しないで。総司が一番に考えるのは私のことじゃない。この浪士組のことでなければいけないの。あなたは、浪士組の組長なのよ?私のことは放っておいて。私は……」




「冗談じゃない」




それは今までの聞いたことのない低く、暗く、太い声音だった。






譲が目を細め、総司に視線を戻そうとした瞬間だった。




強い力で手首を掴まれ、そのまま壁に追いやられる。



いつもの総司からは想像もつかない、乱暴で、それは譲のよく知っている男そのものだった。





譲があまりの衝撃に声を失っていると総司が光のない暗い瞳が譲を捕えた。




「君は……いつだってそうだ。いつも、いつも……人のことばっかり。お人好しにもほどがある。自分のことは放っておけだって?へえ、じゃあそうやってまた自分ひとりで辛さも、痛みも、責任も抱え込んで、苦しんで、泣くの?」



総司の言葉に反論できず、びくっと、譲は固まってしまう。



「僕に構うなっていいたいなら、一人で泣くのをやめなよ!君のそんな姿を見るのはもううんざりなんだ!」



「そ……そう……じ……」




手を離し、立ち上がる総司を呼んでみると、彼は譲を一瞬見た。



その目は苦しげで、哀愁に満ちていた。




「譲、いつか、約束したよね。僕……強くなるよ。僕の大切なものを……、道場を、近藤さんを、君を守るために」





その誓いを思い出した譲は、はっと目を見張った。




憶えている。兄弟子たちに打ちのめされた自分を励ますために、総司が誓った日のことを。




譲は弱弱しく首を振る……。




「そんな誓い……守らなくていいわ……」



「君が何と言おうと、僕は護り続ける。僕は――――」





総司の深く息を吸う音が部屋に落ちる。





「強くなる」





譲の言葉も待たず、総司はそう言い残すと、静かに部屋を退室した。




月の光でまだ包みに残っているお焼きがぼんやりと部屋に浮かぶ。



やがてその画が歪むと、譲は膝を抱えて、涙を流した。





(これで………よかったの?)




そう自問自答しても、答えは見つからない。




分からない。これが正しかったのか。まだ違う選択があったのか。もう、今更何を考えても後の祭りだ。



(どうして………)




総司は、そこまで自分にするのだろうか。




ふと、恐ろしい表情の総司を思い出し、譲は目を閉じる。




願わくば、総司がこれで自分と距離をとってくれたら。





ふうと、息を吐くと月が雲に隠れた。





暗い部屋、譲にはなぜか、後悔の念が押し寄せていた。

















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