ほどよいあとさき
「そうだな。夏乃が俺にかなり執着していて何をしでかすかがわからなかったから、俺の側から逃がしたんだ」
「でも、逃がした先は、夏乃さんの目の前の席だよ?」
そうだ。
相模主任のもとで勉強するという理由で短期の異動をしたけれど、異動先は夏乃さんの目の前の席。
確かに相模主任の席からも近い場所だったけれど、歩が言う『逃がす』とは結びつかない。
首を傾げ、戸惑う私に、歩は小さく息を吐いた。
「俺と一花が別れて、なんの関係もないと夏乃が理解すればそれで十分だったんだ。
自分の目の前にいる一花から、俺の影が見えなければ、それだけで夏乃の意識は他に向くからな。
いざとなったら相模が一花を守ってくれるだろうし、俺は俺で夏乃に新しい男を紹介してやったし」
「はあ?あ、新しい男?」
「そうだ。俺なんかよりも数段金持ちで、夏乃のわがままも強気なところも、そして、仕事に手を抜かない一途なところも、全てひっくるめて愛してくれる男を紹介したから、もう大丈夫だ」
『大丈夫だ』と、自分に言い聞かせるように呟いた歩は、私の額にそっと唇を落として安堵にも似た息を吐いた。
「夏乃は、昔から努力家で、自分が望むもののために相当な努力と時間を費やしてきたらしい。
努力すれば、自分の願いは全て叶うと、そう信じていたのに、俺だけは思うように手に入れることができなかった」
耳元に落とされる歩の言葉に、あれ?と思う。
一度は夏乃さんは歩を手に入れたのに。
ちゃんと二人は付き合っていたはずなのに。
そう思った私の心を察したのか、歩はのどの奥だけで軽く笑い声をあげた。
「確かに夏乃の勢いと思いの強さに圧倒されて、付き合ったけど、それって俺の弱さであり、狡さだな。
父親が引き起こした事故への罪悪感が重すぎて、夏乃に縋ったのかもしれない」
歩の自嘲気味な声に、私の心は悲しくなる。