みどり姫
 ラディという新参の近衛に導かれた場所は、日常使っているどの食堂でもなく、秘宮に面した庭園、秘園だった。
 マーレイの部屋からも微かに聴こえるせせらぎの音がひどく大きく聴こえる。用意されたテーブルのすぐ横を流れているのだから当然か。
 決して今まで無かったことではないが、昼食でも夕食でもない時間に庭園で食事を摂るというのは珍しい事なので、マーレイは少しばかり興奮する。
 白い大理石のテーブルの上には、既に沢山の皿が並べられ、美味しそうに湯気を立ち上らせていた。テーブルが呻きだしても不思議ではない程に豊かな食卓。
 サディンもリウシェンダも、もう席に着いていた。
「お早うございます、父様、母様」
 軽く腰を屈める、最も略式の礼をマーレイはとる。
「お早う、マーレイ。気分はどうだい?」
 サディンが、柔らかく笑んだ。まだ若い国王であるサディンは───まだ三十五歳である───とても屈託の無い笑い方をする。
 マーレイと、そしてマヒトの黒髪は、この父から受け継いだものだった。
 そして、青い瞳。深く、だけどとても澄んだその瞳は、世辞でも誇張でもなく宝石のよう。
 その隣で、リウシェンダも笑う。
 彼女は糖蜜の様な黄金の髪をしている。マーレイは、この髪の色を受け継がなかった事を、一時はとても残念に思ったものだった。今は自分の黒髪を誇りに思っているけれど。
 リウシェンダの瞳は菫色。
 その髪と瞳から『暁の王妃』と謳われる彼女は儚げで、マーレイとは違う意味で美しい女性だ。まさかこの王妃の事を、ダラ・スーチェア一の剣士でもある夫に、決して引けを取らぬ剣技の持ち主であるとは誰が思おうか。
「とても良い気分ですわ、父様。こんな清々しい朝に、お庭でお食事を頂けるなんて、わたくし、とても嬉しく思いますわ」
 座りなさい、と言う様にサディンは目で椅子を示した。いつの間にか跪礼を取っていたラディが、慌てて立ち上がり椅子を引く。
 マーレイは「有難う」を告げるとそっと席に着いた。それを確かめて、ラディはまた跪く。
 少し遅れてアナシアが、そしてマヒトが席に着いた。
「揃ったね」
 満足げにサディンは食卓を見回し、そっと呟く。
「神に、天地に、精霊に」
 皆がサディンに続いて唱和する。そして、サディンがグラスに手をかけると、他の者もその動作に従った。サディンがグラスを心持ち持ち上げると、皆もそっと持ち上げる。
 それぞれの部屋に赴いた『先触れの騎士』達は一斉に立ち上がると、最敬礼をし、その場を離れた。ぎりぎりで、王の一家が視界に入る距離をとると、剣の柄にに手をかける。王族の暮らす秘宮の庭園にまで不審者が入ってくる心配はまず無いのだが、もしも、と言う事もある。
 そんな近衛達を見やりながら、皆、形ばかりグラスに口を付けると、めいめいが大皿に手を伸ばし、そして自分達で小皿に取り分ける。
 他国では、ある一定以上の身分を持つ者達の食事には給仕が付くという。だが、ダラ・スーチェアでは、そんなことは異国の客をもてなす時以外、有り得ない。大皿が空になったら初めて人を呼ぶ……といったところだ。
 家族との会話の絶好の機会だというのに、それを格式張ったものにしなければならない理由など、ある筈もない。
「今朝は三人共、遠乗りに出たんだって? 空腹で気持ち悪くなったりはしなかっただろうね?」
 盛大な食べっぷりを見せる子供達を見て、サディンは目を細めた。
「厩番に、スープを貰いました。ですから、気持ち悪くはなりませんでしたが、やっぱり空腹です」
 すさまじい勢いで食べながら、マヒトが答える。
 まだ赤い頬をした兄を、マーレイはそっと横目で見た。
 素敵な兄様。そう、素直に思う。
 大好きなのに、そういえば最近、余り口をきいていない。兄様はお忙しいのだから……そう自分に言い聞かせてはいるのだけれどもやはり……少し寂しい。
 今日も遠乗りに出かけたとはいえ、マーレイとは余り、マヒトは喋っていなかった。どちらかといえば、アナシアとばかり。きっと、年が同じ所為だと思う。マヒトは今年の秋、十七歳になる。アナシアは今年の夏、藍の月に十七歳になった。
 十七歳は、アザルディーンでは成人の年だ。
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