みどり姫
 だけれども、アナとわたくしとは、年が離れていても仲が良いわ。
 意地悪な兄様。以前は『マーレイを一番愛している。誰よりも愛している』、と仰って下さったのに。
 それとも、もしやわたくし、兄様に嫌われるようなことをしてしまったのかしら?
 考え事に熱中し過ぎた余り、マーレイは小皿を左手に持ちながら、いつの間にか動きが止まっていた。
「マーレイ」
 鈴を振るような声で、リウシェンダが呼んだ。
「そのように人の顔をじろじろと見るものではないわ。貴女のお兄様の顔に、何か付いていて?」
 びくっと、マーレイとマヒトは同時に身を震わせた。
 マーレイは羞恥に。
 そしてマヒトは……。
「何か……付いているかい?」
 ほんの少し震える声でマヒトは問う。男にしては細い指を頬に這わせながら。
「いいえ、何も……何もございません」
 マーレイは顔を伏せる。
「無作法な事をしてしまいました。ご免なさい、兄様」
「いや、謝らなくて良いよ」
 マヒトは笑顔を作ってみせる。全く気にしていないのだという風に。
「アナシア、今朝は楽しかったかい?」
 サディンが話題を変えた。
「ええ、とても楽しかったです。お養父様」
 アナシアが微笑む。彼女は本当に母親に似ていた。栗色の髪でさえなかったら、生き写しといってよい程に。だが、エアルは固い蕾のまま、綻ぶ事を知らなかった。アナシアは違う。大輪の花だ。
 妹が死んでどれ位になるだろうとサディンは思いを馳せた。そう、もう四年になる。マーレイが初めてシャンタル祭の午前の部に出席した時。
 自分が、運命の相手と、そう定めた男との出会いのきっかけたる祭の日に儚くなった可愛いエアル。
 結婚は、していなかった。エアルが好きになったのは、身分の低い、従者の従者で、エアルとの事が発覚した際に主人に責め殺されたから、だ。
 アナシアは、エアルのたった一つの宝物。
 その宝を、サディンは引き取り養女とした。父親の出自故にアナシアの未来に傷が付く事がないように。
 娘の数が増えて、もう四年にもなるというのに、アナシアに「お養父様」と、そう呼ばれると、何となく気恥ずかしい。
「空気がとても気持ち良うございました。本当に」
 そう言い添えてから、アナシアは再び料理に手を伸ばした。
「今度はわたくしも行きとうございますわ」
 リウシェンダが言う。
 実は、乗馬の腕前もかなりのもの、そんな彼女はじっと子供達の方に視線を向けた。
「今度は、わたくしも誘って頂戴ね。まだまだきっと、負けないわ」
「母様は、父様とお二人でお行きになればよろしいわ。二人っきりを楽しまれるとよろしいのよ。物語の中にある逢瀬の様に」
 マーレイの言葉に、国王と王妃は顔を見合わせる。
 十四の少女が、逢瀬などという言葉を使う事が、ひどく驚きだった。
 何処でそんな言葉を覚えたのだろう? と、サディンは考えた。マーレイは本が好きだから、本だろうか?
 やがて、リウシェンダが頬を膨らませる。
「貴方、マーレイが母を仲間外れにします。叱ってやって下さいませ」
「二人で行くのは嫌なのかい?」
「まぁ」
 赤くなったリウシェンダを見て、皆、声を立てて笑った。笑われて、ますます頬を膨らました当の本人でさえ、しまいの果てには一緒になって笑い出す始末。
 食卓に、笑いは耐えない。
 マーレイは、きっとこんな日が毎日続くと信じていた。
 平和で優しい時間。
 兄の事を考えると胸が痛むが、だが、それしか悩みの無い気楽な少女時代。
 マーレイはこの時、幸せだった。
 間違いなく、幸せだった。
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