ONLOOKER Ⅴ

クラウド



柏木聖は、かけ慣れない眼鏡を指で押し上げて、左右を見回した。
昼過ぎに仕事が終わって、途中まではタクシーに乗っていたものの、道が混んであまりに車が進まないので、大きな通りで降りてきたのだ。

映画祭の会場は、確かもうすぐそこのはずである。
夏生から送られてきた地図を液晶画面でもう一度確認して、聖はぐりんと首を傾げた。


(……迷った)


声は出さずに、唇だけで呟く。
革のトートバッグを肩にかけ直して、またちらりと視線を巡らす。

移動は車だからと油断して、帽子もマスクも持っていなかったのだ。
伊達眼鏡だけではさすがに不安なのは、自惚れなどではない。
以前部屋着のままでコンビニへ買い物に行って、サインやら握手やらで二時間家に帰れず、結局急遽マネージャーを呼ぶ羽目になったのは嫌な思い出だ。

ただ、表通りの道路の混雑に反して、一本裏に入れば驚くほど人通りの少ない道である。

歩道すらない細い道の両端には、雑貨屋やら不動産屋やらが民家と入り混じって並んでいた。
どの店もそう繁盛しているようには見えない。

誰にも気づかれていない今のうちに、できるだけ早く映画祭会場に行ってしまいたいところだ。
だが残念なことに、柏木聖は、極度の方向音痴だった。


夏生に電話をかけようと、携帯電話を取り出す。

道に迷うことを危惧した彼がわかりやすいナビまで用意してくれたはずなのに、表通りの信号待ちですらないタイミングでタクシーを降りてしまったせいで、そもそも現在地が危ういのだ。
電話口から呆れた溜め息が容赦なく浴びせられることは、覚悟しておかなければいけないだろう。

だが電話帳を開きかけた聖は、思わず声をあげた。

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