四竜帝の大陸【赤の大陸編】
第二十二話
 --『とりい・りこ』からなら、私は奪える

「……」

 そう告げた者がいるのだと、ダルフェは言った。
 そやつがりこから何を奪うつもりかなどとは、訊くまでも無いことだ。

「…………」

 とりい・りこ。
 りこの名を、そやつは知っていた。
 だが、我は。 
 我はもっと、もっと、誰よりもりこの名を知っている。
 りこが我のためだけに、異界の文字で紙に『名前』をすべて書いてくれたから。
 だから我はりこの名をすべて、正しく知り、読め、書ける。
 それはこの世界で、我だけなのだ。

 我のりこの名前は、『鳥居りこ』。

 『鳥居』というのは苗字、家名。
 『鳥居』には、意味があるとりこは我に教えてくれた。
 鳥居ーーそれは、神域への門を表すのだと……。
 神の居場所と下界を隔て、繋げる『門』。

「………門、か」

 異界に関する術式を使えぬ我には分からぬことだが。
 あちらの物を“落とす”術式を使った者達は、そのさいに“なにかを通過する感覚”を持つらしく……。

「…………」

 りこは名の中に……『門』を持っていた。

「…………」

 偶然、とはいえ……。



「ヴェルッ!!!」



 赤の城にある伝鏡の間に転移する間に脳内で考えていたことを蹴り飛ばす勢いで、呼ばれた。
 陽を排した室内の中で三台の大型伝鏡が覆いを外され、それぞれに竜帝の姿を映し……声は、その中に居た<青>のものだった。

「ヴェル、ヴェルッ……おちびが無事でっ……見つかって、本当に、良かった……」

 <青>の声は感情に押されて徐々に揺らぎ、かすれていった。
 伝鏡越しでも、その身に纏う青い鱗が小刻みに震えているのが見て取れる。
 ……泣くのか?
 泣くなら勝手に泣くがいい。
 お前が泣こうが笑おうが我には関係ない。
 関係あるのは……お前がりこの好む竜体だということだなのだ!
 りこが女神のようだとその美しさを讃える人型ではなく、可愛いと褒める竜体であることに苦情を言うべく我が口開くと。

「<青>。後でりこに会う時は必ず人型にな」
「はぁ? あんた、なに言ってんの!? だいたいさぁ、あの異界人が行方不明になったのはあんたが甘ちゃんだからじゃない! イドイドに謝まんなさいよ! 土下座しなさい、土・下・座ぁあああ~!!」

 我の言葉を遮った<黄>の甲高い声が、伝鏡の間に無遠慮に響いた。

「…………」

 顔は竜体の<青>の居る伝鏡に向けたまま。
 視線だけを我は<黄>へと動かした。

「あ! イドイド! ねぇ、お顔もこっち向いてよ! もっと近くに来てよ! あのね、あたし、トリィちゃんのためにたくさんプレゼント用意したの! ドレスもアクセサリーもお菓子もお花も……トリィちゃんは鯰が好きらしいから、あたしのお城にも鯰のお池を作ったのよ!」
「……」

 <黄>は人型だった。
 鮮やかな黄色の瞳は密度の濃い睫毛に縁取られ、厚めの唇には薄く紅が塗られている。
 背まで伸ばした巻き毛を頭頂部で結い、大振りな白い花で飾っていた。

「ねぇ、イドイド! あたし、トリィちゃんが黄の大陸に来たらなんだって買ってあげるし、仲良くする! 意地悪なんて、絶対にしない! だから、だから……なんか言ってよ、イドイド……ヴェルヴァイドッ!」
「………」

 レースを幾重にも重ねた髪と同色のドレスを着込んだ<黄>の目玉に、みるみるうちに水が満ちていく。

「ねぇ、イドイド! お願いっ! あたしにも何か言ってよ! お、おねが、いっ……」

 声に、嗚咽が混じる。
 それにどうこう思うこともなく、<黄>が竜体でないことに満足した我は、視線を別の場所へと移動させた。

「<黒>。……ではないな?」

 黒用の伝鏡に映し出されているのは、見知らぬ雄竜だった。
 紺色のレカサを着、クセのない赤みの強い茶の髪を左右非対称に切り揃えた雄竜は一礼してから口を開いた。

「補佐官のクヴェニエンと申します」

 その雄竜は、黒い絹の布に包まれた物体を両腕で抱いていた。

「お前の名も、何者であるかも我にはどうでもよい。我は<黒>に用があるのだ。出せ」

 細面の顔にある薄墨のような色をした目玉には、我への畏れ……恐れはないようだった。 
 つまり、この補佐官は竜騎士ではないということだ。

「はい、ヴェルヴァイド様。……陛下、ヴェルヴァイド様です。さぁ、お顔を……」

 ダルフェと同世代であろう雄竜が、胸に抱いたそれから黒い布を少々動かすと。
 光沢を失ったかさついた鱗を持った頭部が現れた。
 開かぬ瞼の皮膚の微かな動きが、その下には眼球がまだあることを教えていた。

「、、、…………、、、、…」

 口は上下ではなく左右にすれるように動くのみで声は出ず、空気の漏れるような音。

「<黒>。ベルトジェンガ」

 <黒>が喋れようが喋れまいが、我にはどうでもよかった。
 我は“会話”をしたいのではなく、我は我の言いたいことを言うだけなのだから。

「我はりこと着たのだ」

 贈ってきた夜着を使用したことを、伝えた。 

「りこがお前に、礼を言いたいそうだ」

 だから。
 黄泉でお前を待つ、先立ったつがいに会いに行くのは。

「しばし、待て」

 もし。
 我がお前ならば、待たぬがな。
 なぜなら。
 我には“りこ”しかいない、から。

「……、、、…、、」

 搾り出すように吐かれた息の中には、<黒>の意思。

「お前はそれでいい。ベルトジェンガ」

 言葉が足りぬことを<青>に飽きるほど指摘される我の意を、<黒>が正しく理解したように。
 念話など用いずとも、<黒>の返答は我へと伝わった。





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