渡り廊下を渡ったら

13



ジェイドさんのノックに女性の声が返ってきて、ゆっくりとドアが開いた。
私は緊張で若干手を震わせながら、必死に指先で口角を上げる。
鼓動が速くなっているのを感じながらも、頭の片隅で、卒園式のピアノ伴奏の時などによくやったのを思い出してしまった。


・・・いよいよ親子との対面が始まる。




まず、陛下が躊躇うことなく部屋に入った。
それはそうだ。
自分の妻と子どもの部屋なのだから、自分の家も同然だろう。
「いらっしゃいませ陛下」
「うむ」
ドアを開けてくれた侍女さんが、恭しく頭を下げて言った。
お辞儀をする姿が、とても綺麗で見とれてしまう。
見とれながらも、ジェイドさんが尋ねていた行儀作法云々とは、こういうことなのか、と1人で納得してしまった。
陛下はそれに仰々しく頷いたかと思えば、そのまま奥の方へ歩いていってしまった。

「おーいレイラー、調子はどうだー?」
その背中の消えた先から、暢気とも言える声が聞こえてきて、私は思わず噴出してしまう。
・・・いや、これはきっと緊張で笑いのポイントがおかしくなったせいだ。
シュレイラ様の部屋は廊下が伸びていて、部屋に入っただけでは居間が見えないようになっているようだ。
奥の方からは、陛下の声が聞こえてくる。
「いらっしゃいませ補佐官様」
ジェイドさんも、頭を下げている侍女さんに短くただ「ああ」とだけ言って、さりげなく私の背中に手を添えて奥の声のする方へ行こうとする。
私はそれに身を任せることにしつつも、
「こんにちは、お邪魔します」
小声で頭を下げ続けている侍女さんに声をかけて、中へ入った。


奥の居間にはシンプルな応接セットがあり、そこにはすでに陛下が腰掛けていた。
壁紙やカーテンの色、家具のデザイン、この部屋全体がとても穏やかな落ち着いた雰囲気で、陛下がソファに体を沈み込ませて寛ぎたい気持ちがよく分かる。

王族というと、豪華な物を好んでいるのかと、私は勝手に思っていた。
歴史の教科書に登場した、パンがなければお菓子をどうぞ、という王族や王城をイメージしていたから、価値観の見直しが必要そうだ。

部屋を見渡し、ほぅ、と息をついて陛下の横に座って談笑している女性に目を向けた。
体格の華奢な、どこか儚げな雰囲気の人だ。
結い上げた髪に、小さな宝石が散りばめられたカチューシャのような飾りを身につけている。
「・・・失礼しますね。
 レイラさん、子守の候補をお連れしましたよ」
ジェイドさんが、私の背中に手を添えたままシュレイラ様に告げた。
するとシュレイラ様の瞳が、私を捉える。
一瞬大きく見開かれたと思ったら、鈴の音のような声が飛び出した。
「・・・わぁっ、こんな妹が欲しかったの!」
それはそれは嬉しそうに指を組んで喜びを表現している彼女を見て、私は口が開いてしまうのを止められなかった。
「よかったなぁ。
 レイラはひとりっ子だからなぁ」
陛下が何度も頷いて同意する。
初めて2人のことを目にする私だけれど、すぐに陛下が彼女を溺愛しているのが分かった。

いや、問題はそこではない。
・・・いもうと?
陛下と姉妹について話している彼女を見てみると、お肌はぷるっとしているし、子どもを1人産んだとは思えないくらい、若々しい。
・・・私はその彼女から見て、自分よりも幼いと判断されたようだ。

「レイラさん、彼女は・・・」
「すみません、今年で24になります・・・」
ジェイドさんが私の年について話そうとしているのを察知して、自分の口から伝えようと言葉を紡ぐと、彼女は大きく目を見開いた。
瞳が零れ落ちそうだ。
「まぁ、24歳なの?
 ・・・そうなの・・・じゃあ、お姉さまね!」




「わたくしの名前は、シュレイラといいます。
 レイラって呼んで下さいね」
にっこり微笑む表情が眩しい。
一瞬見とれてしまった私は、はっと我に返って自己紹介をする。
「ミナ=マツダです。
 呼びやすいように、呼んで下さい」

頭を下げた私と、ジェイドさんも応接セットに座らせてもらって、ゆっくり話をすることになった。
本当なら、陛下とレイラ様のお子さんに会う予定だったけれど、私達がここに来るのが遅くなったために、お子さんがお昼寝をしてしまったのだそうだ。
昨日の夜から興奮気味で、なかなか寝付けなかったらしい。
・・・なんてかわいいのだろう。

「じゃあ、ミーナさん、って呼ばせてもらいますね」
本当はお姉さまって呼びたいのだけど・・・と少し残念そうに話すレイラ様。
レイラ様の年を聞いてビックリしたけれど、よく見るとお似合いの2人だ。
夫婦なんて、段々といろいろなところが似ていって、最後には顔まで似てくるものなのよ・・・なんて、お母さんが話していたのを思い出してしまう。
思わぬところで故郷を思い出してしまった私は、ほんの少し切ない気持ちになりながら陛下と彼女が顔を見合わせているのを見つめる。
そして、彼女とお互いの呼び方について話をしていたのだと思い出した。
「・・・じゃあ、私はレイラ様と・・・」
「いいえ、やめて下さい。
 様付けされるのは、あんまり得意じゃないんです。
 ミーナさんは侍女ではないし、これからは家族同然なのに・・・。
 ・・・もう、ジェイドさんだけずるいわ」
形の良い眉が段々とハの字になって、最後にはジェイドさんを軽く睨んだレイラ様が言う。
私はその言葉の意味がよく分からず、思わずジェイドさんを振り返った。
すると、彼は半ば困ったような顔をして私を見つめる。
「・・・お伝えするのを忘れていました。
 マツダさん、今ここに座っている時点で、あなたは王族関係者なのです。
 本来なら、最初にサインをもらう前に、お伝えするべきでしたね・・・」

すみません、と呟く彼の表情を目にした途端に、頭の中が真っ白になってしまった。
「それはどういう・・・?」
半ば放心状態で尋ねた私に、彼はゆっくりと話し始める。
「王族の子育てについては、もうご存知ですね」
無言でうなづいた私に、彼はさらに続けて言った。
「子守は、王族の私生活に出入りすることになります。
 ということは、臣下や騎士団で働く者達、王宮に出入りする者達にとっては、
 王族に関する情報源となるわけです」
彼の言葉に、団長の話を聞いてあっさり引き受けてしまった自分を悔やむ。

もう話も聞いてしまったし、この部屋にも入ってしまった。
院長の言っていた通り、もう引き返せる場所はとっくに過ぎてしまっていたのだと、今さら身を持って知ることになるなんて・・・。

絶句してしまった私を見て、ジェイドさんが苦笑しながら言う。
「ちょっと意地悪な言い方をしてしまいましたね。
 ・・・あまり難しく考えなくても大丈夫ですよ。
 自分も王族を支えている、というつもりで仕事をして下されば良いのです。
 命を投げ出せという意味ではありませんよ。
 ・・・家族を守るつもりでいて欲しいんです」
「かぞく・・・」
言葉の響き自体は、これ以上ないくらい今の私には魅力的だった。
家族だなんて、こちらの世界でいつ縁があるのか分からないものだから。
ちなみに私の母は、陛下の子守だったんですよ、と前置きをした彼が、柔らかく微笑んで私に言葉を向ける。
「もちろん、雇用者と被雇用者の関係でもありますから、お給料はしっかり
 出します。
 そのへんのことは、マツダさんの要望を聞きながら調整しましょう」
「・・・そうですか・・・。
 お金のことは、貰えたら嬉しいですけど・・・でも・・・」
頭のどこかがぼんやりしたまま、私はうわ言のように呟いた。

もう引けないと分かっているのに、優しくしてくれる彼を困らせたいわけではないのに、どうしても覚悟が決まらない。
孤児院を出ると決めた時の、あの決意がこんなにも軽く頼りないものだったなんて、自分にがっかりしてしまう。
・・・団長にも、がっかりされてしまうのだろうか・・・。

目を伏せた私にダメ押し、とばかりにジェイドさんが囁いた。
「大丈夫、ここの家族は何があってもあなたを守りますよ」

言われて思考の海から現実に戻った私は、同じテーブルについた陛下やレイラ様に目を遣る。
すると、2人が優しい顔をしているのに気がついた。
こうして眺めると2人はとてもお似合いだし、部屋の何もかもがシンプルで、新婚さんの新築祝いにでも来たような気分だ。
そこまで考えて、ああそうか・・・、と心の中で呟く。
胸の奥のほうに堕ちてきた何かを掴んで、私は口を開いた。

「・・・至らないところも、たくさんあると思いますが、頑張ります。
 宜しくお願いします」
そして、一礼してから目の前の2人を改めて見つめると、微笑んで頷いてくれた。

難しいことを考えるのは、しばらくやめておいた方が良さそうだ。
理屈ではなくて、この人達のこと好きになれそうだと感じた自分の心を信じてみよう。
怖気づいてしまいそうだった自分はどこにいってしまったのか、一度言葉にして頭を下げたら、迷う気持ちはすっかり消えてしまった。
どうせ働くのなら、好ましいと思える人達と一緒に、誰かの役に立てる仕事をしたいと思うのは、私の性分なのかも知れない。
・・・仕方ない。
これも両親から受け継いだ血の中に組み込まれたものなのだろう。



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