渡り廊下を渡ったら


「それでね・・・」
レイラさんがお腹を擦りながら言う。
・・・結局、様付けはお許しが出なかったので、さん付けで勘弁してもらったのだ。

彼女は、私が子守の仕事を引き受けてから、とても生き生きと子どもの話をしてくれていた。
今何歳なのか、何が好きで何が嫌いなのか、どんな性格なのか・・・。
話しぶりからすると、この人は本当に愛情深い女性だということが分かる。
しかし、生き生きした声に反して、少しずつ顔色に翳りが見え始めていた。
もしかして、気分が優れないのかな・・・と心配になる。
そこまで考えて、もともと今日は体調が良くないために、私室で面会したいという話だったのを思い出した。
・・・休んでもらった方がいいのかな。
そう言おうとして、口を開いた時だ。

「・・・レイラ、少し横になるか?
 顔色があまりよくないぞ」
隣にいた陛下が、彼女の背に手を添えて顔を覗き込む。
最初は少し残念な人かと思ったけれど、彼女のことを大事にする愛情深い一面がある人なのだと、内心感嘆してしまう。
・・・周りの大人達が、たくさん手をかけ心をかけて、育てたからかも知れない。
「そう・・・?
 ・・・でも、うん・・・ちょっと疲れたかも・・・」
小首を傾げながらも軽く息をついて、彼女は額に手を当てた。
そんな様子を見た陛下は、気が気ではなくなったのか、彼女を横抱きにして立ち上がった。
「横になって休んだ方がいい。
 もう一度、夕方になったらミーナに来てもらえばいいだろ。
 その頃にはリオンも起きているだろうし、な?」
陛下の首に腕を巻きつけて、くたり、と力を抜いた彼女を心配して見上げていた私とジェイドさんに、陛下が言う。
「隣の寝室に寝かせてくる。
 ・・・少し待っててくれ」






陛下がレイラさんを連れて行くと、部屋がしんと静まり返った。
シンプルで素敵な部屋だと思っていたけれど、住んでいる人の温かさがあったから、居心地がよかったのだと実感する。

「・・・どうですか、あの夫婦は」
ジェイドさんが、静かに尋ねた。
私は感じたままを口にすることにする。
もう、緊張して手が震えてしまっていた私は、どこかに消えてなくなっていた。
「とてもお似合いで、お互いに大事にしているのが伝わってきますね。
 そんな両親がいて、皇子様は幸せでしょうね」
「・・・目の前でいちゃつかれると、さすがに迷惑なんですけどねぇ」
苦笑して話していた彼が、言葉を切った途端に声を低くする。
「・・・大事なことを後回しにして、すみませんでした」
私はその言葉に、ゆるゆると首を振った。
「大丈夫です・・・というか・・・。
 全部聞いてからだったら、私、怖気づいて逃げていたと思います。
 だから、先にお2人に会えて良かったんです・・・」
そう言いながら隣に座る彼を仰ぎ見ると、彼は思いのほか優しく目を細めて、しかしからかうような声で言った。
「・・・そうですか?
 私は、あなたは最初からこの話を引き受けてくれると思ってましたよ」
「・・・それは、ちょっと買いかぶり過ぎです・・・」
「ま、何はともあれ、これで一安心です」
彼の穏やかな声に、そっと息を吐いた。

今日はずっと緊張していて、やっと今、落ち着いて息をしている気がする。
そんなふうに、心地良い空気に少しぼーっとしていた時、ふいに思い出したことがあって、私は口を開いた。

「・・・やっぱり補佐官様って呼んだほうがいいですか?
 私、ジェイドさんは採用担当の事務官なんだとばかり思ってて・・・。
 すみません」
上目遣いに尋ねれば、彼は苦笑しながら首を横に振った。
「・・・いいえ、私は肩書きには拘らない方なので、このままで。
 正直なところ、私のことを正しく呼ぶ人間が増えて嬉しく思っているんです」
「そう、ですか・・・?
 じゃあお言葉に甘えて・・・ジェイドさん、のままで・・・」
彼の気分を害していたわけではないと分かって、思わず緩んだ頬を押さえる。
すると、彼が柔らかく目を細めた。
「蒼鬼殿は、そういうあなただから、そのコインを預けたのでしょうね」
「・・・え?」
突然降って湧い言葉に、思わず胸元のコインに触れた。
つるり、と浮かび上がる紋章が指先を押し返す感触に、速くなりそうだった鼓動が大人しくなってゆくのを感じる。
「私は、あなたは今回の子守役に最適だと思っています。
 ・・・期待してますよ」
「は、はい」
言われたことを深く考える時間もなく、彼の言葉に頷いた。

会話が終わり、再び部屋の中が静かになる。

「もうそろそろ昼食になるころですね」
ぽつり、と彼がつぶやいて、それに反応するように私のお腹がきゅるっ、と鳴った。
「・・・っ!」
声にならない悲鳴を上げて、自分のお腹を押さえる。
今朝は早かった上に、列車の中ではセクハラ大王に脅され、身体も心も栄養が欲しいと主張しているのだろう。
聞こえたよね?という意味を込めて隣の彼を見上げたら、しっかり目が合って、ふふ、と小さな声で笑われた。
「お腹が空きましたよね。
 陛下に挨拶をしたら、一緒に食堂に行きましょうか。
 なかなか美味しいんですよ」
そう言って、彼は片目を瞑った。





食器がぶつかる音やたくさんの人の話し声、厨房を飛び交う声、そして空間全体に漂っている、美味しそうな匂い。
早く何か食べろと言わんばかりに、お腹がきゅるる、と鳴く。
食堂はとても賑やかで、いろいろな職の人が入り乱れていた。

侍女らしき制服、騎士団の制服、事務官だろうか、黒い制服を着た人達も結構な人数いるように見える。
ちょうどお昼休憩の時間に重なったのか、空席はあと少しのようだ。
学食のような、懐かしさと、わくわく感が入り混じる空間に、私はどこか浮かれていた。

私とジェイドさんが食堂に入っても、賑やかに食事をしていた人達は、目が合えば軽く会釈をする程度で、特に気にする風でもないようだ。
補佐官とはいえ、恐れ多くて近寄れないという感じでもないらしい。
しかし全体の中の何人かは、私と目が合って鼻で笑う様子を見せたけれど、その後すぐにジェイドさんを見つけて、スプーンやフォークを取り落としていた。
黒い制服に身を包んでいるけれど、なんだか感じ悪い人達だ。
隣にいた彼が、小さな声で耳打ちする。

「あの黒い制服の感じ悪い連中が、お話した、能無しの給料泥棒ですよ」
「・・・分かる気がします」
「私と一緒に食事をしているところを見せれば、近寄りませんよ。
 心配なさらずとも大丈夫です」
はい、と返事をして、私は彼の背中に続いて食事を注文しに行った。

食堂には、いくつか屋台のようなカウンターがあって、そこで自分の食べたい物を注文するのだそうだ。
カウンターごとに扱う料理の系統が違うらしいけれど、私は初めてなのでジェイドさんと同じものを食べることにした。
ちなみに彼がこの場所を利用することは、あまりないらしい。
聞けば、普段は忙しくて執務室から出る時間もないのだそうだ。
どこの世界でも、激務に追われる人がいるものだ、と変に感心してしまった。

今回はジェイドさんがご馳走してくれるというので、お言葉に甘えることにする。
私の好みを聞きながら、上手に注文をしてくれて、出来上がった食事も2人分上手に運んでくれて。
極めつけには、席についてからお水まで持ってきてくれた。
そこまでされて、はっと我に返った。

「ジェイドさん、ありがとうございます。
 でも、そこまでしなくても、あの人達も分かると思いますよ?」
私が変に絡まれないように、補佐官が気にかける人間として連中の意識に残るように、いろいろ動いてくれているのだと気づいたのだ。
しかし彼はというと、首をわずかに傾げただけだった。
「・・・何のことです?」
「無意識ですか・・・?」
私の言葉に、眉間にしわを寄せる。

・・・そんな顔をしていたら、団長みたいになりますよ。
・・・美女ホイホイ2号です。

「ジェイドさん、モテますね?」
「そんなことはないですよ。
 お嫁さんを絶賛募集中です」
私の失礼な軽口にも、にこりと笑顔で言ってくれる。
「さ、食べましょう」
何か腑に落ちないものを感じつつ、ジェイドさんに言われるまま食事に手をつけた。

団長といいジェイドさんといい、無意識の美形男子だなんて、王宮は危険がいっぱいだ。
でも・・・遠くから眺めて心を癒すくらいは、許されるだろうか。




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