渡り廊下を渡ったら

「うーん・・・・」
ぽいっ
「うーん・・・・」
ぽいっ
「うーん・・・・・」
ぽいっ
「・・・・・・・・・あぁもうっ!」
がしゃん!

昨夜いろいろあって疲れたせいか、今朝はとても眠かった。
それでもなんとか起き上がって、眠気に朦朧としたまま顔を洗って歯磨きをして・・・そして気がついたのだ。
今日から、女子生活を再開しなくてはならないことに。

気づいて焦った私は、朝の光と初夏の風の入る部屋の中、クローゼットを開けて格闘していた。
いろいろ漁っていたら、こんなものを持っていたのかと感嘆してしまうような服まで出てきてしまって、なんだか恥ずかしいような可笑しな気持ちになって。
まだこちらの世界では2年経つかという時間しか生きていないクセに、浸るものがあるなんて・・・と呆れつつも手が止めてしまうこともあった。
天体盤の太陽が、しっかり昇っている。
早くしないと朝ごはんがなくなってしまう・・・!
「今まで髪くくってパンツとブラウスで済んでたからなぁ・・・。
 ・・・あ、じゃあ、スカートとブラウスでもいいってこと・・・?」
閃いて、クローゼットの中からブラウスを確保する。
これはいつも身につけていたものだから、沢山ある。
それから、男物の服をベッドの上に除けていく。
除けて、除けて、除けて・・・除けども除けども、女性物の服が全く見つからなくて、冒頭の「ああもうっ!」に戻るわけだけれど・・・。
一応女性として、何着かはいざという時に着られるものを用意しておくべきだったか。


「ミーナ、起きてるかなぁ・・・?」
「大丈夫よ、起きてなかったら起こしてあげましょ」
女性の声が2つ。
コンコン、とノックの音がして、私は返事をする。
自分でも、若干情けない声が出てしまったのが分かってしまって、悲しくなった。
「おはよう、ミーナ!」
少女の声がして、ドアが開いた。
私の同僚の少女と、院長がいかにも楽しそうに入ってくる。
少女は孤児院が開設された当初から働いていて、私の同僚だ。子ども達の世話をしたり、厨房の助っ人になったりする。
他所の孤児院で育った彼女は、3年前に院長にスカウトされて、しらゆり孤児院に移ってきたのだそうだ。
赤毛に茶色の瞳、そばかす顔。これでアンという名前がついているのだから、親近感も湧く。
「うふふ、やっぱりこうなってたわねぇ」
ほんわか笑顔の院長。
その手には、こちらの世界で一般的な女性の服と、髪を結い上げるのに使う小道具。
「きゅ、救世主が2人も来てくれた・・・!」
感無量で院長に抱きつく。
抱きしめ返してくれる腕は、いつもと同じ温かさだった。

「でもなんで、私が服に困ってるって分かったんですか??」
不思議でならない私は、洗面室のドアの影でいそいそと着替えながら院長に聞いてみる。
顔だけ出して見ていたら、院長とアンがクスクス笑っていた。
私のベッドに2人で腰掛けて、日差しを浴びている姿は、外国のポスターみたいだ。
「今朝早く、団長が教えてくれたの」
アンが院長を見て、院長がおっとり答えてくれる。
「今日から、あなたが女性の格好をすると約束したって。
 でも渡り人だから、この世界の女性としての常識を知らないかも知れないし、出来たら助けてやって
 もらえないか、って」
私じゃダメだったのに、どうして団長とは約束しちゃったのかしら・・・、なんてブツブツ言いながら、院長が口を尖らせている。
孫がいてもおかしくない年でしょうに、なんでそんなに可愛いのでしょうか。
「・・・」
なんともコメントに困る団長の気遣いだが、せっかくなので有り難く受け止めることにする。
「そうでしたか・・・っと」
背中のボタンを留めて、洗面室から出る。
久しぶりにスカート穿いたから、足元がスースーして仕方ない。
なんとも収まりどころのない気持ちは、日が経つにつれて落ち着いていくのだろうか。
「あたしの服だけど、ミーナなら入るんじゃないかと思って、院長と選んできたの!
 男子ミーナと一緒に歩くのも好きだったけど、本当は女の子なんだもんねー」
「・・・アン、素直すぎ!」
む、として言い返す。
「いいわねぇ、やっぱり女の子はこうでないとね!
 男の子が可愛いのなんて、本当に小さな頃だけなんですもの」
院長がウキウキした様子を隠さずに、近づいてきた。
私の部屋は、ベッドと机、洗面室とクローゼットがある。
生活空間としては、まずまずの1Kといった感じだ。
机の横には、姿見が立てかけてある。それに自分を映して、後ろのボタンをチェックした。
こんなに姿見をまじまじと見つめるのは、どれくらいぶりだろう。
「じゃあ、あとは髪を結い上げて、朝ごはんをいただきましょうね」
アンは窓の外を眺めて、手を振っている。なんだかキラキラした笑顔で。
子ども達がいるのかと想像して、私は視線を元に戻した。
そして目に入って来た院長の手には、ブラシと造花のついた紐。
「・・・え?」
思わず抜けた声が出る。
院長がにこにこして、私に座るように促した。
「さ、手早く済ませましょうね~」
今までに見たことのないような笑顔で、院長は私の髪をいじり始める。
南向きの窓から日が差して、白塗りの壁がキラキラと輝いていた。
・・・まだ1日は始まったばかりだ。




「つ・・・疲れた・・・」
母屋の廊下を歩きながら、疲労感をため息と一緒にこっそり吐き出す。
あの後、院長はひと通り満足するまで私の髪をいじって、褒めちぎって、帰っていった。
今日は王宮の関係者と面会があるから準備が必要なのだと言っていたから、朝食も部屋に運ばせるのだろう。
アンはというと、私と一緒に朝食をとるのだと言っていたが、渡り廊下で団長の部下に朝食に誘われて、
連れ立って行ってしまった。
「ごめんねミーナ!」なんて、言葉とは裏腹な表情で。
あれは完全に恋する乙女の表情だった。
今朝私の部屋から手を振っていた相手が、その騎士だったわけだ。
そして空気を読んで、私は1人で食事をすることにした。
その時は本当に、彼女の淡い恋心を応援してあげたかっただけで、まさかこんなにも精神的に疲労を感じる朝食になるなんて、思いもしなかった。

こちらの世界でいう男装は、私にとってはもといた世界で女性が普通に着ていた服がほとんどで、全く違和感なく生活してきた。
でもやはり、こちらの人達にとって男装していた私が突然女装・・・もともと女性であったにも関わらず・・・で生活し始めたら驚愕してしまうものらしい。
料理長は口をパクパクさせて「と、とりあえず、祝いのケーキでも焼くか」なんて言うし、ユタさんは青ざめて「皆さん見えてますよね・・・?!」なんて、掠れた声で言うのだ。
・・・いやいや、私は十分大人ですし、今さらお赤飯なんて炊く必要もなければ、かと言って幽霊でもありません。
本当に、人をなんだと思っているのか・・・まだ声をかけてくれるだけいいのだけれども。

アンほどに気を許せる距離感にはいない同僚達、団長のお供として残った騎士達も、皆して遠巻きに様子を伺っているのを肌で感じてしまえば、食事の味もおぼろげになるというものだ。
「・・・疲れた上に食べた気もしない・・・」
何の修行なのだろうか。
そんなことをつらつらと考えていると、玄関ホールに出た。
今日は騎士団の居残り組みが王都へ帰還する日だ。慌しく荷物の準備などをする気配が感じられる。
そして、ここを通り過ぎて離れに渡れば、彼らの上司である団長の部屋がある。
私はそのまま渡り廊下へ向かおうとして、ホールに飾られている大きな鏡が目に入った。

なんとなく身だしなみのチェックをしてみる。
女性の格好に戻す約束は団長と交わしたものだから、だ。
・・・鏡の中に、いつもと違う私が映る。黒髪を結い上げて、この世界の衣装を着ていた。
どこかまだ着慣れていない、身体に馴染んでいない姿が、なんだか可笑しい。
違和感というか、浮いている感じに失笑してしまいそうな自分を自覚しながらも、そうか、と思い至った。
アンの服を借りているから、ちぐはぐな感じがするのだ。
今度自分で縫うか、買うかしないといけない。
この世界の女性の服は、緩めのシルエットをしている。
春や夏には、柔らかい生地や麻のような風通しのいい布で、ワンピースのような服を。
秋や冬には、毛糸や厚めの生地を使ったワンピースを着ることが多い。
アンに借りた服は、薄い藍色の生地に白い糸で刺繍が施してあった。
年頃なら、もっと手の込んだ刺繍を自分でしたり、明るい色の生地を着ている子が多い。
きっと院長と2人で、私の年齢を考慮してくれたのだろう。
それでもやはり、もともとが自分のために用意したものではないからか、違和感が拭えない。

実はこの世界では、女性は20歳くらいの頃が、婚姻を結ぶのにはちょうどいい、らしい。
ちょうどいい、と言うと語弊があるような気がするけれど・・・要するに、学校を出て専門の道に進むなり家業を手伝うなりして、落ち着いた頃が20歳くらい、ということらしかった。
人生の節目というか、岐路、のようなものだろうと勝手に解釈しているのだけれど。
とは言っても、異世界育ちの私には結婚の年齢なんてどうでもいいのだ。
大体、そういう相手にめぐり合えるかどうかも分からない。
過去を持たない私を受け入れて愛してくれる人など、そうそう見つからない気がするのだ。
だから、今は自立して自分の力で生きていくことが一番。
私は、自分の人生の続きを歩いていくと決めたのだから。
「・・・それにしても・・・」
自分の女装姿に、言葉に困る。
渡ってきたばかりの頃は、似たような格好をしていたのだけれど・・・。
今の流行は、ゆるいシルエットのワンピースに、胸の下あたりでベルトや飾り紐をしめる着方らしい。
私も紺色の紐を、白い綺麗な石で帯止めのように巻いている。
今度アンに紐の結び方を教えてもらわなければいけないな。
そんなことを考えながら身体を捻って後ろ姿も映すと、ワンピースの裾が翻った。

その時だ。

かちゃり・・・・・・

静かだった玄関ホールに、金属音が響いた。
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