【完】『賀茂の流れに』

12 けったいな人びと

香月愛と實平あさ美のコラボレーションの写真集が世間の耳目をさらっていた頃、

「怪態(けったい)な黒塗りのワゴンが来た」

というので、エマは気味が悪くなって警察を呼ぼうとしたことがあった。

しかし。

中から出てきたのは、黒人のガードをつれた、メガネをかけた恰幅の良い中年の男である。

それはエマと翔一郎の事務所へ来た来客であった。

「突然すいません」

とエマに差し出された名刺には、山内強という知らない名前がある。

が。

渡されても困る。

翔一郎は大阪へ打ち合わせに出ているのである。

「不在です」

とエマが応えると、

「それは失礼いたしました」

では改めて、と再訪を告げ黒ワゴンごと去った。

夕刻。

大阪から戻った翔一郎は、エマから名刺を手渡されると、

「…なるほど」

とだけいい、

「突然また来るようやったら、面会は断っとけ」

とのみいった。

「なんで?」

「突然現れて、誰でもおのれに会うてくれると思い込んどる天狗には会わん」

確かに。

理窟は翔一郎に分がある。

「今どき面会のアポ取るにしてもメールや電話もあるし、アプリかてある」

それもよう使わんのは仕事の処理の能力が低い証や、というのである。

「何か東京から来たみたいだったけど」

「うーん…まぁ東京生まれのエマの前でいうのも憚られる話やが」

関東風の悪い癖や、と翔一郎はぼやいた。

「アポなしっちゅうのは、京都でビジネスマンが一番やったらあかん行為や」

その辺りは、前述の通りである。

「せやから、なんぼでかいビジネスでも、アポ取らんってことは大事なところで約定を違えるかも分からんから信頼できんのや」

世の中なんでも信用が大切や…と翔一郎は、ようやく上着を脱いだ。



半月ほど過ぎた。

京都に再び桜の季節が訪れ、翔一郎は朝から知恩院や上賀茂神社などあちこちで写真を撮りまくっては現像しに戻り、昼飯を済ませて次は出雲路橋から桜の堤を撮影したり…と毎日がワタワタしている。

そんな日。

再び例の黒ワゴンで山内強と名乗る男は西陣の事務所に現れた。

エマは、

「饗庭は申してました」

と、翔一郎がいったままのことをそのまま伝えた。

すると山内は、

「確かに無礼ですよね」

と苦笑いを浮かべ、今度は事前にアポを取る旨を述べて辞去した。

それを聞いた翔一郎は、

「その山内いう男、どこまで偉いさんのつもりなんやろな」

もはやあきれて笑うしかなかったらしい。



数日後。

前の晩に「明日、寄っても大丈夫か」と連絡のあった陣内一誠が西陣に来た。

見て驚いた。

顔中にアザやら絆創膏やらあちこちあって、

「ボクシングでも始めたんですか?」

とエマに大真面目に訊かれてしまうほど、顔が腫れていたのである。

「一体、何しでかしたらそないなるんですか」

翔一郎も唖然とした。

「いや実は」

實平あさ美と喧嘩をしたのだ、という。

「女の子と喧嘩したぐらいで、そんな敗けたボクサーみたいには、なりしませんやろ」

思わずエマは笑って、すぐ気まずいと思ったのか手で口許を隠した。

「何しろ」

實平あさ美に馬乗りでボコボコに派手に殴(は)られたらしい。

「あさ美ちゃん意外に怪力やな」

「茶化すな」

露骨に一誠が嫌な顔をした。

「なんで喧嘩なんて」

エマが訊いた。

「それが」

實平あさ美のプロデュースをしていた例の「先生」が、あさ美との手切れに一誠へ小切手で郵送してきた…というのである。

「それで突き返してやったんやが、そうしたらあさ美が『何であの金の亡者から取るだけむしり取ってやんないんだ』って…ほんで」

フルボッコにやられた、というのである。

「あさ美ちゃん、可愛い顔してなかなか女傑やな」

翔一郎は腹を抱えて笑い出した。

「笑うとこちゃうで」

「せやかてね先輩、そらぁ悪いですけどあさ美ちゃんの方が役者が一枚上手(うわて)ですがな」

大の男が小娘に振り回されている姿は、はた目に滑稽ですらある。

「まぁ、あさ美の昔おったアイドルユニットってポジション取るために肘でド突き回すことかてあるらしいから、そら案外えげつないらしくて」

「可愛い顔して、やってることゴロツキと変わらへんやないですか」

翔一郎は思ったままをいった。

「でも、あさ美ちゃんは陣内さんと別れるつもりはないんですよね?」

「本人はそう話しとる」

「じゃあ、その先生とやらにハッキリ、ぐうの音も出ないぐらい止めを刺した方が、いいんじゃないんですか?」

「そらエマ、一理ある」

翔一郎は戸袋から五色豆を出した。

「あ、衣笠の五色豆」

「これ、あさ美の好物やしなあ」

何か考えなあかんな、と一誠は虚空に目をやった。



陣内一誠の来訪から何日か間があいた頃、

「山内です。対面の日取りをご連絡ください」

という電報が来た。

「電報とはひねったな」

一筋縄では行かなさそうな相手やな──と直感したからか、

「追って後日ご連絡いたします」

とのみ伝え、数日スケジュールとにらめっこをした上で、

「この日やったら」

と、敢えて選んだのは日曜日の深夜に近い時間帯である。

(これでも来るなら)

本気やな、と翔一郎は見ている。

エマは不思議がったが、

「ビジネスっちゅうのは、いわば武士の戦や。戦は戦わずして勝つように最初の段階から手を打つ」

かつては彦根の武士であった、という家の遺伝子は、こんなところに出るようであった。

日曜日の深夜、というのは新幹線で東京に戻れない。つまり嫌でも京都に泊まらなければならず、

──おまけに深夜で観光も出来んから、東京には早くても昼前に戻る計算やし、月曜の朝に不在やと相場や仕事に響く。居心地は最悪なはずや。

そんなところまで計算してあるのである。

しかも。

場所は西陣の事務所である。

(これなら酒に逃げられることもない)

ここまで来ると、策士であろう。



当日。

敢えて翔一郎は夕方に仕事を切り上げ、早めに仮眠を取って、深夜の来訪を待った。

すると。

約束の時限を少し越した頃に例の黒ワゴンが来た。

(まず難関は突破やな)

まさに髪の毛一本遅れて来たのである。

「深夜に恐れ入ります」

土産を渡された。

翔一郎は封も切らずに袋のままエマに渡す。

「わざわざ東京から、上洛していただいてえらいすんませんなあ」

事務所の椅子を勧めた。

「ところで、何べんも足を運んでもろて、ご苦労はんですな」

何の商談ですやろか、と翔一郎は殻を割ったような突っ込んだ切り口で、敢えて攻め込んだ。

「それが実は」

實平あさ美の件だという。

「内閣府にお出入りしはる偉いお方が、わざわざ東京から上洛して、女の子の話ですか…なかなか風流ですわな」

エマが出した茶を飲んだ。

「出来れば饗庭さんから、陣内さんに別れてもらうように、説得してもらえませんか」

「ほぅ…ほんで?」

「實平あさ美が再び、ユニットで中央に立てるようにしてあげたいのです」

「そら、まぁ本人が望んではったら、それはそれでよろしですやろな」

私は實平あさ美でも陣内一誠でもないから、本心までは量りかねる…ととぼけた口調で翔一郎は応じた。

山内は巻き返しにかかった。

「それで」

内閣府で進めている日本をアピールするキャンペーンに、無償で参加してもらいたい…と山内は切り出してきた。

「ほぅ…この饗庭に、タダ働きせぇと。なかなか酔狂ですわなぁ」

「いえ真剣な話でして」

「ということは当然、あんさんも、タダで活動してはりますのやろ?」

と笑いながら翔一郎は暗に、正論を示してみた。

山内は顔が固まった。

「…わざわざ東京から上洛していただいて、せっかくですけど、唐突なお話ですよって即答は致しかねますなぁ」

「そうですか」

「然るべきお方にご相談を申し上げた後で、返答させてもらいます」

「然るべきお方…?」

「確かそのプロジェクトは東京の総理官邸に担当がおる、と聞いております」

そちらとご相談の上で山内さんにはご返答いたします、と翔一郎はいい放ち、シャアシャアと頭を下げた。

見ていたエマはのちに、

「あのとき山内さんの顔色がみるみる変わって行くのが見ものだった」

と述懐した。

「山内さんにお茶を」

「いえ」

山内は席を立った。

「お帰りですか」

エマ、見送りや…翔一郎は笑いをこらえるように向いていった。



山内が去ってからの翔一郎は動きが早かった。

(あんなのらりくらりしてたのに)

エマがビックリしたのも無理はない。

まず内閣府と総理官邸のホームページにあるキャンペーンの欄に、担当に宛てて山内の話を伝え、そのあと慶に連絡を取り、広島のあさ美の両親に実情を伝えてもらうように頼んだ。

その上で、

「然るべきお方にご相談の結果、残念ながらご辞退を申し上げます」

と、あえて芸大時代の知り合いのスポーツ新聞の記者を通じ、ファックスのコメントを載せてもらうという手を打った。

時の人となっている香月愛の師匠、というだけあって効果は絶大で、

──京都の饗庭は、ただ者ではない。

この時点で勝負は決まった、といっていい。



約一ヶ月ばかり経った。

新聞の一面に、

「實平あさ美引退発表」

という見出しが踊り、「写真家・陣内一誠氏と婚約」とあった。

「あさ美ちゃん、良かったよね」

「…今ごろは東京は、まぁワタワタやろな」

翔一郎は新聞に目をやりながら、運ばれてきたトーストを一口かじった。
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