【完】『賀茂の流れに』

13 生き残った町で

オイ饗庭えらいこっちゃで──といきなり青島薫が電話を寄越してきたのは、五月の連休が明けたばかりの時期である。

「どないしたんや」

「んな、どないもこないもあれへんがな」

愛のことが雑誌に載ってんで、というのである。

「え?」

ひとまず電話を切ったあと、

「エマ、ちょっとチャリキ借りるで」

そういうと突っ掛けサンダルで自転車に跨がって、翔一郎は智恵光院笹屋町を出た。

浄福寺の裏手の千本通にスーパーがある。

その開店したばかりの朝の雑誌の棚で、確かに愛が見出しになっている雑誌を見つけた。

買って開くと、

「女子高生写真家と放射能」

という見出しと共に、愛のことについて書かれた記事が載っている。

(遂に世に出たか)

翔一郎は思わず天を仰いだ。

例のライカのカメラの件の折に薄々、推測はしていたのだが、

(このタイミングで出たら、愛ちゃん世論につぶされてまうがな)

無理もない。

まだ東日本の大震災から、三年も経っていない時期なのである。

ついでながら。

あのときの京都は揺れも翔一郎はほとんど分からず、実際、何が起きたのかすら分からなかった。

が。

河原町四条の街頭テレビには津波に流されて行くイチゴハウスが空撮され、翔一郎が小学校の頃に体験した阪神大震災のことが、ふと頭によぎった。

ちなみに阪神大震災のときにも京都は意外に被害が少なく、被害が甚大であった西宮から彦根へ疎開してきた転校生の、

「途中京都へ着いたら何も倒れてへんくて、びっくりした」

あれは生き残った町や、といったのを翔一郎はいまだになぜか、鮮明に覚えていた。

その後。

翔一郎は芸大時代に灘の蔵元の娘と交際したことがあったが、

「例えば神戸線に乗るでしょ」

焼け跡の看板に「しんながた」ってあるから、そこが新長田の駅ってやっとわかるんよ…そんな会話を、翔一郎は口中で噛み締めていた。



話を戻す。

智恵光院笹屋町に戻ると、愛が訪ねてきていた。

「あ、おじゃましてます」

「えらい早いな」

留守番をしていたエマによると、何やら愛は相談があるらしい。

「先生…あたし、薫と別れようかって思ってるんですけど…」

「…えっ?!」

エマが思わずコーヒーを、通り庭の土間に誤って落とした。

ガシャン、とカップが割れた。

「あ、…ごめんなさい」

片付けようとしたエマが、手を欠片で切った。

「…しゃあないなあ」

翔一郎が薬箱を取り出した。

手当てをしながら、

「なんで別れようって…うまくいってるわけやし、別れんでもええやないか」

「でも…それ」

愛が指さした先には雑誌がある。

「おれも青島に聞いてびっくりしたのや」

「でも…これ以上、芸能人の薫に、あたし迷惑はかけられないし」

口元は笑っていたが、愛の目は泣いていた。

「いっぺんちゃんと膝詰めで話してみたらどうや」

何でも話してみなわからんやないか、と翔一郎は珍しく強い語調でいった。

「でも…」

「んな、でももヘチマもあるかいな」

エマ、東京に行くで──いうが早いか、翔一郎は帆布のリュックを手にしていた。

その時。

「待って翔くん、あたしが行く」

「…えっ?」

翔一郎は戸惑った。

が。

「…ま、女の子にしか分からんモンもあるわな」

あっさり翔一郎が引き下がると、エマは旅支度を始めたのであった。



新幹線の自由席に座るなり愛は、

「ごめんねエマちゃん、何か巻き込んじゃって」

申し訳なさげな顔をした。

「うぅん、気にしてないから大丈夫」

それより──とエマはいう。

「薫さんの居場所って分かるの?」

「先週からミニアルバムのレコーディングだから、もしかしたらマンションには帰ってないかも」

エマは少し考えてから、

「ちょっと連絡したいところがあるから」

と席を外した。

ややしばらくしてエマが戻ってくると、

「取り敢えず泊まる所だけは確保したよ」

といった。

「どこのホテル?」

「ホテルなんか泊まらないって。友達の実家の部屋が空いてるから、一週間ぐらいならいいよって」

「それ悪いって…」

「実家にも許可を得たから大丈夫だって話だし、気にしなくていいって」

「それならいいけど…」

「ねえ…、お腹すいたからお弁当にしよ?」

そういうとエマは駅の売店で買ったおにぎりを袋から出したのであった。



新幹線は着いた。

雨である。

東京駅で東海道線に乗り換えると、

「藤沢で降りるから」

といった。

「あの…どこまで行くの?」

愛は不安が隠しきれないでいる。

「鎌倉だよ。ほら、だいぶ前に話した、ゴスロリの友達」

「…あ、萌々子ちゃんだっけ?」

「うん」

「そっかあ」

愛は少し不安がほどけた。

横浜駅を過ぎた辺りから人が減ってきた。

藤沢駅に着くと、専門学校の授業を終えた萌々子が真っ赤なゴスロリ姿で迎えに来ていた。

「エマちゃん久しぶり」

愛を見ると、

「はじめまして愛ちゃん、疲れてない?」

「あ、大丈夫です」

「敬語なんか遣わなくていいから」

こういう物怖じのなさは、萌々子のいわば得な面でもある。

江ノ電に乗り継ぐと、

「普段なら江ノ島あたりから景色がよくなるんだけど、今日は雨だから」

なんか冴えないんだよね、と萌々子はいった。

「でも愛ちゃんってスゴいよね。あたしより年下なのに、写真家デビューしてるんだもんね」

「色々とアングルの取り方とか、ピントの技術とか、饗庭先生があれこれ教えてくれたから」

「でも才能がないと、出来ないよ普通は」

あたしも何か才能ほしいなあ、と萌々子はいった。

「萌々子さんだって、洋服を自分で縫えるし」

「うーん…でもこれは才能じゃなくて、ただの技術だもん」

「そう?」

「だってデザインとか授業で課題が出ても、まるでダメだったし…だから愛ちゃんとか薫さんとか、饗庭先生みたいに特殊技能で勝負できることって、ほんとはスゴいんだよ」

自信持ちなって、と萌々子は愛の肩をポンと軽く叩くと、明るく笑った。



翌日。

起きると愛の携帯電話に、薫からのメールが入っている。

「明日オフ日だから逢えるよ」

というものである。

愛は電話を思わず、いとおしそうに胸に抱いた。

その日。

──せっかくだから、鎌倉見物でもしてきたら?

という萌々子の祖母の操の勧めもあって、愛は萌々子の案内で、エマと三人で鎌倉の町へ繰り出した。

曇り空ではあったが五月の鎌倉は海からの風も爽やかで、前の日には雨でかすんで見えなかった江ノ島や烏帽子岩も、はるかに眺め渡すことができる。

小町通のアイス屋で買ったソフトクリームを口にしながら、材木座の浜辺まで来ると、近くのカフェからはサザンの曲が流れてきた。

「やっぱり湘南ってお洒落だよねぇ」

似合う曲が違うもん、とエマはいう。

「うーん、京都だって国際的だから鎌倉と変わらないと思うよ」

だっていっぱい外国人来るじゃん、と萌々子はいう。

「まぁ、あたしの生まれた町からすれば、どっちも都会だけどね」

愛はいった。

「そぉ?」

「だってあたしが生まれたの、福島の小さな田舎の町だし」

「そっかあ」

「大震災が起こるまでは、海が近かったから魚も野菜も新鮮で美味しくて、夏になったら近所の川で鮎が釣れる、静かで大好きな場所だったんだけどね」

あの日の鎌倉は?──と愛は訊いた。

「鎌倉もすごく揺れて、怖かったよ。それにうちって坂へ出たら海が見えるんだけど、…東北ほどじゃないけど津波も来たんだよね」

慶もあの日ばかりは怖かったって…萌々子は答えた。

「慶? …彼氏さん?」

「うん」

すると。

萌々子は慶の亡くなった元カノの、のぞみちゃんという女の子の話をした。

「慶さんって普段あんなに面白いのに、そんな過去があったんだ…」

エマが呟いた。

「でも…萌々子さんはそれでいいんですか?」

元カノの話だなんて、と愛には奇異に映った。

「そうだよね。もちろん私も訊いてみたよ」

「それで?」

「慶はね、そのとき『のぞみはのぞみやし、萌々子は萌々子やろ』って」

「切り替えたのかな」

エマはいった。

「切り替えた訳じゃないと思う」

だって、何に対しても慶は真っ向勝負な人だし──と萌々子は続けてから、

「きっとだけど、慶は誰に対しても手抜きが出来ないと思うんだ」

「わぁ、ラブラブぅ」

エマはソフトクリームのコーンにたどり着いた。

「私は薫さんのことはよくわからないけど、もし心底から愛ちゃんのことを大切だと思うなら、風評なんて気にしないと思うよ」

「…うん」

「愛ちゃん、ソフト溶けちゃうって」

「あ」

愛は慌てて食べ始めた。



約束の日。

愛車のカブリオレの黄色のミニクーパーで、薫は愛が泊まっていた、七里ヶ浜の萌々子の実家まで来た。

「それじゃ、行ってくるね」

萌々子は専門学校、エマは旅費をおろしに銀行へ行くそれぞれ別の用があったので、特に見送るということもなく、三人バラバラの行動になった。



薫と愛は、三浦海岸で久しぶりにドライブのデートを楽しんでいた。

三崎口で鉄火丼を食べ、萌々子に教えてもらった長浜海岸に着くと、薫と愛は、淡い藍色をした相模湾を眺めている。

「ね」

「ん?」

「薫はさ、…雑誌って読んだりする?」

「…読む日もあるけど」

でもおれは愛のことだけを信じる、といって愛の方を向いた。

「…じゃあ」

「おれな、こんなもん手に入れたんやけど」

と差し出したのは、ベルベットの小さな箱である。

「まぁ、まずは開けてみ」

開けると指環が入っている。

「サイズ…合わんかったらごめんな」

「これって…」

「どやろ…一緒にならへんか?」

「…うん!」

薬指に指環をはめた。

「ぴったり」

「サイズ違てたら、どないしょうか思ったがな」

弾けるように薫は笑ってみせた。

愛は涙ぐんでいる。

「泣いてどうすんのや」

うちらは一蓮托生、いわば毒を喰らわば皿までや──薫は笑わせようとしたが、駄目であった。

「…ありがと」

「なんの、これぐらい何てことあれへんがな」

「でも、ほんとにいいの?」

「おれは付き合った最初から決めとったんや」

逆に愛でないとイヤや、と薫はおどけたが、真剣な目をしている。

「最初に雑誌の見出しを見たときにはビックリしたけど、前に愛から聞いてた話がほとんど入ってへんかってん、中身は嘘やなって、すぐ分かった」

ああいうものは見てきたような嘘をつくもんや、というと、

「…」

何かをいいかけた愛の唇を唇でふさいだ。

そのまま。

シートを倒した。

季節外れだけに海には誰もいない。

そのまま、情を交わしあう時間だけが流れていった。



深夜の柱時計が鳴った。

「…愛ちゃん遅いね」

「うまくいってるんじゃないかな」

そこへ。

離れを借りている實平あさ美が帰宅してきた。

「…あ、萌々子ちゃん」

エマちゃん来てたんだ?──あさ美はキョトンとした顔をした。

「うん」

「ちょっと愛ちゃんの件でいろいろあったから」

「ふーん」

あたし明日ロケで早いから、というとあさ美は離れへ消えて行く。

「芸能人って、大変なんだねぇ」

エマはあのときモデルにならなくてよかった、と内心、われながら選択が正しかったことを一人で再び確認した。


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