【完】『賀茂の流れに』

14 直(た)だに逢はゞ

梅雨が近づいている。

エマと愛が京都へ帰る日、雨の季節を先取るようにシトシト、朝から降り出していた。

「大船まで送る」

という薫の厚意で、エマと愛は例の幌がついた黄色のミニクーパーで大船駅まで送ってもらい、東海道線で東京駅へ向かった。

新幹線に乗り継ぐ頃には、本降りである。

「京都も雨なのかなあ」

「とりあえず翔くんに訊いてみよっか」

何気なく翔一郎に、エマはメールを打ってみることにした。



その頃。

留守番であった翔一郎は、陣内一誠に呼び出され烏丸御池にあった。

着信が来た。

「新幹線乗ったんだけど、京都は晴れてる?」

返信を打った。

「今のところくもり。烏丸御池にいるので、もしかすると遅くなる」

との由であった。

それにしても。

朝から呼び出された理由が分からず、翔一郎は困った表情で、慣れた陣内事務所のドアを開けた。

「お、来たか」

まぁ座れ、と椅子を進められた。

「朝からどないしたんですか」

「いや実は」

入籍したんや、とツラッと一誠はいった。

「おめでとうございます」

って、そんな卵でも買うたみたいにシレッと言われても…と、翔一郎は困り笑いを浮かべた。

「何のお祝いも支度してまへんで」

「別に祝い金がガツガツ欲しい訳やないのや」

これを機に東京へ移転するつもりなんやが、と一誠は卵の殻でも割るように簡単げにいうのである。

「んな、東京て…まぁ先輩はグラビアがメインですから」

東京の方が何かと便利ですやろな、と翔一郎はいった。

「お前は、この先どうするんや? 京都の景色を撮るだけでは、そのうち限界が来るやろ」

そこは翔一郎も、気にしてはいる。

「まあ引っ越しは夏ごろの計画で先やから、しばらく烏丸御池や」

人生の転機なのに、一誠はえらく淡々としている様子で、翔一郎は口をぽかんと開けたような感じで、烏丸御池をあとにした。



ちょうどその頃。

「雨量計が規定を越えたので、現在この列車は停車しております」

というアナウンスと共に、エマと愛は、静岡駅で足止めを余儀なくされていた。

「翔くんにメールしとかなきゃ」

エマは再び翔一郎にメールを打った。

「雨で新幹線が、静岡で停まってる」

ちょうど翔一郎は京都駅へ向かっていたらしく、

「長引くみたいなら、いったん西陣に帰っても大丈夫かな?」

「大丈夫だと思う」

とのやりとりであった。

そこで。

いったん翔一郎は西陣まで戻って、バイクからバスにアクセスを切り替えて三哲ゆきのバスに乗った。

いっぽう。

新幹線は小一時間ほど静岡で停止していたが、雨が小降りになったので、再開の目処がついたらしく、再び西を目指し、ホームをすべり出した。

ところが。

今度は翔一郎が渋滞にハマったらしく、堀川蛸薬師の手前の辺りで身動きが取れなくなっていた。

(せめて堀川四条まで出れば変わるんやが)

四条通まで出れば、京阪や地下鉄という切り替えが利く。

仕方なく堀川蛸薬師で降りて、猪熊通から銀行の角を西へ折れて京阪線で地下鉄まで出る…という選択をした。



新幹線は徐行でようやく名古屋までたどり着き、愛は疲れたのか眠っている。

エマは起きて、本を読んでいた。

──電車で読むなら、雑学本かエッセイ本がえぇ。推理小説とかやと、読み終わって時間余ってたら最悪やからな。

という翔一郎の話をエマが覚えていたからである。

たまたま静岡駅の売店に、向田邦子の随筆本があったので買っておいたのが幸いした。

名古屋駅を出る頃には雨は止んでいる。



無事に地下鉄に乗り継げた翔一郎は、無事に京都駅の改札口まで来た。

少し時間があったので、本屋に寄ってみると「みやこのかぜ」が平積みになっている。

何となく誇らしい気持ちになって、そのあと地下街のイノダコーヒで時間を潰すことにした。



琵琶湖がちらちら見えてきた。

大津の町が見えた頃、エマは愛を起こした。

「そろそろ京都だよ」

愛はどうやら薫の夢を見ていたらしく、

──薫が何も言わずに笑っている夢を見た。

といった。

「愛って可愛い」

「?」

起き抜けでキョトンとしている。

唐橋を右手に瀬田川を渡ると、トンネルに入った。

抜けると京都は近い。



メールが来た。

「山科が見えたよ」

イノダコーヒを出ると再び改札口へ。

懐中時計を開いた。

「…もう少し、やな」

待った。

しばらくすると、白いボストンバックを提げたエマが見えた。

翔一郎が手を振る。

エマと愛が改札を潜ると、

「おかえり」

「…ただいま」

わずか数日の旅であったにも関わらず、エマは翔一郎めがけてダッシュすると、翔一郎に抱き着いた。

弾みで倒れた。

後ろで愛が笑っている。

翔一郎は倒れたまま、エマの背に腕を回した。

(何をやっとるんや、おれは)

我ながら自分の格好が可笑しかった。



同じ頃。

東京では、ある交通事故が起きていた。

エマと愛が静岡で足止めされた、あの折からの酷雨でタイヤがスリップしたらしく、橋の欄干に激突して、自動車は前が潰れて大破している。

運転手はすぐに搬送され、現場のそばの大学病院で治療となったが、

──残念ですが、ご臨終です。

という医師の宣告のあと、その亡骸は斎場に運ばれた。



いっぽう。

京都は雨が上がって、エマと愛と翔一郎が西陣へ着く頃には虹が出ていた。

「虹なんて久しぶりやな」

笹屋町通の先、わずかに見える比叡山の稜線の向こうに、虹がかかっている。

「電線さえなければ、シャッターチャンスなんやけどなぁ」

翔一郎は職掌がら、そんなことをいった。

「電線が邪魔臭いけどとりあえず撮っとこ」

カメラを構えると、連写で何回かアングルを変えつつ撮影してゆく。

愛もライカで何枚か撮ってみた。

「まるで子供みたい」

「そういうエマかて未成年やないか」

翔一郎の一言にエマは笑い出した。

愛は、

(薫とこんな夫婦になりたいな)

そんなことを夢想しながら、愛は虹にファインダーを向け、シャッターを切っていた。



翌朝。

電話で翔一郎は叩き起こされた。

「もしもし…」

珍しく声は慶である。

「お前、今どこや」

「西陣やけど」

「そっか…知らんか」

「何がや」

寝起きで少し機嫌が悪い。

「青島が亡くなった」

「…は?」

翔一郎は思わず声が裏返った。

「ようそんな縁起でもない冗談いうなぁ」

「どこが冗談や、ネタちゃうで!」

滅多に怒らない慶が、声を張り上げた。

「昨日の昼、事故で欄干にぶつかって…運ばれたときにはあかんかったそうや」

翔一郎は虚ろな顔つきになっている。

「そんで明日、伏見に戻って本葬や」

後で詳しくメール打っとく──そういうと慶は電話を切った。

その頃には翔一郎もいつもの翔一郎に戻っていて、

(これ、愛ちゃんにどない話したらえぇのや…)

そればかりが頭の中を堂々巡りしている。

同じように。

萌々子も愛にどう話したらよいものか、頭を抱え込んでいた。

(いくら事故とはいえ)

あまりにも、タイミングが悪すぎるのである。

慶からも連絡はもらったが、

(どうしよう…)

顔がくもってゆくのを、自分でもどうすることが出来ないでいた。



が。

愛が知ったのは、テレビのニュースであった。

最初は信じられなかった。

しかし。

亡骸と共に上洛した、薫の事務所の社長から直々に愛に知らされ、それが事実だと分かると、伏見の薫の実家で本葬の手伝いをするほど、気丈に愛は振る舞った。

本葬の日。

萌々子と實平あさ美を京都駅で迎えたエマは、タクシーで伏見の青島家に直行した。

慶は、薫のミュージシャン仲間からの発注を受けて、供華を手に来ている。

一誠も愛とはわずかにつながりがあるので、通夜だけ出た。

だが。

翔一郎だけは通夜にも本葬にも顔を出さず、初七日のときに独りでひっそり花を手向けている。

理由は、あった。

御苑の脇の府立医大の附属病院に、三日ほど入院していたのである。

「あいつ倒れたんかい」

少し線が細いのは知ってたんやが、倒れるとはなぁ…と、慶ですら驚いた。

ストレス性の胃腸炎である。

が。

たまたま相部屋になった、附属病院の近所の鴨沂高校でかつて古典を教えていたという老教師に、

「直だに逢はゞ逢ひかつまじし石川の雲たち渡れ見つつ偲はむ」

という万葉集の輓歌を、翔一郎は教わった。

「すぐに会えないぐらい遠くへ行ってしまった人は、空にたち渡る雲を見て思い出そう」

という意味を、である。

退院の日。

翔一郎は世話になった礼を述べようとした。

が。

老教師は検査なのか、床にはいなかった。

結局、最後まで礼をいえずじまいで、翔一郎は附属病院を出た。

和歌は、胸に突き刺さったままであった。
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