送り狼


一人残された彼は、「チッ」と舌打ちを打ち、気怠そうに前髪をかきあげた。


なんと勝手な奴だ、と思ったが、自分は銀狼のそういう所を気に入っている。


性質の似通った二人だ。

こんな事は実際しょっちゅうある。


まぁ、良い。自分一人で見物しやろうと、


彼は、農夫達が噂していた民家を探しに腰をあげたのだった。





噂の民家は山神の社のある集落から少し離れた所にある。

風に乗って集落を超え、川を渡ると、友神の社である犬神神社に差し掛かった。

銀狼は帰って寝ると言っていたが、ここに銀狼の気配は感じられない。


「気まぐれな奴め」と呟き、彼は犬神神社を横目で睨み通りすぎた。


犬神神社から続く一本道をしばらく登ると、突き当たりに少し開けた土地があり、

噂通り、そこに一軒だけポツンと粗末な民家が佇んでいた。


「はて………」


こんな所に民家などあったろうか…?


彼は、この広大な土地と山々を統べる山神だ。

少なからずとも山神である彼は、ここに住む全ての生命を管理している。

その彼が、この土地に住まう者を見過ごすことなど、あるのだろうか?

若干の違和感を感じたが、

最近は、犬神と共に、妖狩りや、山狩りに興じていた分、見落としがあったのだろうと納得した。



彼は、早速噂の毛色の違う『人柱』を拝んでやろうと、民家の庭にある大きな楠に腰掛け、

粗末な一軒家を見下ろした。


そうすると、すぐに山の中からこちらに向かって呼びかける子供の声が聞こえてきた。


「姉ちゃーん、姉ちゃーん!」


家の裏手の茂みがガサガサと動いたかと思うと、

10歳ぐらいの男の子が元気よく飛び出て来た。

和柄の膝丈程の着物を来た男の子は、

泥だらけの体で、両手一杯に、秋の恵みである柿や茸を抱え、

粗末な民家へと駆けて行く…。


「姉ちゃん、見てっ!今日はこんなに一杯獲れたよっ!」


そう言って男の子は、自慢気に、本日の戦利品を軒先へ並べる。


「幸太、あんなにダメだと言ったのに、また一人でお山へ行ってたのね」


凛と鳴る、鈴の音のような、声だった。


彼は、その声を聞いただけで、それが『何なのか』を瞬時に理解していた。


「だって、姉ちゃん、

母さんの看病と畑仕事で手一杯だろ?

俺だって、もう子供じゃないんだし、一人で山に入るぐらい大丈夫だよ」



「何言ってるの?」と言いながら軒先の奧から、女が姿を表す…。



真っ黒で艶やかな長い髪を一つに束ね、

白い肌と対象的なその色彩が、彼女の真っ黒な瞳をさらに際立たせていた。

その姿は、女と言うよりは、まだ熟していない、娘と呼ぶ方が相応しいように思える。







「ほぉぅ…」



彼は、顎を片手でしきりに摩りながら、女を見つめた。


「幸太は、まだまだ子供でしょ?

山に入る前にちゃんと、犬神様にお参りはしたの?」


コロコロと笑うその娘は、春の暖かい陽射しのような雰囲気をまとっていた。


「ちゃんとしたよっ!だから、迷わずに帰れたんだろっ?」


男の子の生意気な口ぶりに、娘はニコリと微笑む。


「じゃぁ、後で姉ちゃんと一緒に、無事に帰れた事を犬神様に報告しに行きましょうね」


そう言って彼女は、男の子の手を引き、家の奥へと姿を消した。




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