送り狼


栞は、代々山神神社を守る神主の血筋に生まれた。


兄と姉と一人ずついたのだが、

兄弟の中で一番強い霊力を持って生まれたこの末娘が

神の声を聞き、神に娶られる次の人柱になる事は間違いないと

一族の誰もがそう思っていた。


その証に『栞』と名付けられたのだ。


栞とは、元々、山野を歩くとき、木々を折り道しるべとしたもの…。

いずれ、人々を導くような存在になるようにと

一族の願いが込められたものだった。



それもあって、栞は3つになった時から他の兄弟とは引き離され

より霊力を高める修行と、神の世話係、巫女としての教育を施された。

それは、幼い子供にとって想像を絶するとても厳しいものだった。


それでも、今までその辛い修練に耐えて来れたのは

一族の切なる願いと、山神のその存在だった。




初めて栞が神の声を聞いたのは、栞が十を迎えた春の事だった。



桜の咲く頃、栞の師でもあり、現当主をしていた母が亡くなった。


栞の一族では、代々『神の声を聞く者』が必ず一人現れる。

そして、その『神の声を聞く者』が巫女となり、当主を務める。

その母が亡くなったという事は、当主の代替わりを示していた。



母の葬儀の日、栞は涙一つこぼす事はなかった。

その様子を見た一族の者は、口々にこう言った。


『さすがは次期当主様だ』、と……。



栞はそれを腹の中で笑っていた。

もちろん表に出す事なく…


幼き頃より、母親としての愛情なんて一度も与えて貰った事などない。

厳しい修練の日々は、母親同様、栞を無表情で無機質な人形へと変えていた。


そんな母親が今更死んだ所で、何の感慨もない。

むしろどうでも良い事だった。


この退屈な葬儀もいつ終わるのかと、そればかり気にしていた。



そして、いよいよ出棺の時。


母を納めた柩の後について葬儀場から外に出た時だった。



「母が死んだというに、泣かぬか。」



何処からともなく

低く、それでいてよく通る男の声が聞こえた。


栞は辺りを見回す。


周りにいるのは知った顔ばかりで、

その声に思しき人物など見当たらない。


「ん?童、もう俺の声を聞くか?」


どうやら、聞き違いではないらしい。

栞は、もう一度辺りを見回した。


「ここだ、ここ。」



季節は春…。

この葬儀場には沢山の桜が植えられており、

今まさにその命の全盛期を迎える頃だった…



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