スナック富士子【第四話】


 「ちょうど、今日のような雨と一緒で、音もなく降り注いでくるから気づかない。そういう恋ってあるだろう?

 たとえば、『あぁ、あいつ、気になるなあ』って目で追っていることに気づいている、そういう恋なら分かりやすいのに。

 中学校のとき、気になるなあって年中、目で追っちゃう奴がいた。部活が一緒だったし、ちょっとしたライバルみたいな気持ちなのかなってその時は思ってたけど、少し経ってあるきっかけで、『あぁ、俺ゲイだ』ってそいつを目で追ってしまう、その気持ちが恋愛感情なんだと気づいた。だからそいつが初恋といえば初恋なんだろうな。

 でも、なぜかいまいちぴんと来ない。

 高校に入学して、それなりに好みだなと思う奴もいて、──けどそれもやっぱりピンと来ないんだ。

 高校時代の同級生で、3年間同じクラスだったのがクダンの男で、トモダチだった。出身中学は違かったけど高校を受験するときに通った塾が一緒だったからお互い顔を見知ってた。まるっきり知らない奴らの中に知った顔を見つけてなんか安心したよ。『よぉ、お前もココだったんだな』ってつるみ始めたら翌年は『お前もこのクラスか』、その次の年も『お、今年も一緒か!』って感じで、自然と一緒にいたんだ。

 好きだなんて思ったこともなかった。ただ、知り合いで、腐れ縁のように一緒にいて、大事な友人の一人、そう思っていた。」

 男が黙ると雨音が聞こえた。「雨脚が強くなりましたね。」そういいかけた瞬間、テーブル席の楽しげな声が外の雨音を消してしまう。青年は手持ち無沙汰にグラスをひとつ手に取り、もう一度布きんで拭った。男はその手元を見つめている。青年は、彼の目線を追うように自分の手元を見つめた。

 「でも、恋だった、と気づいたのですか?」
 男から目を逸らしたまま青年は尋ねた。
 「いや。」
 「でも、初恋のひとつだと・・・」
 「本当は、今でも分からないんだ。それが、恋だったのかどうか。ただ・・・」
 男はカウンターの上で祈るように重ねた手の中のグラスを傾けた。カラリと氷がなる。
 「会いたいな、とか、話したいな、とか、無性に思った。卒業して会うことが無くなってから、やたらと気になって仕方なくなった。そう、今でも・・・・。」
 「友達なら、飲みに行ったりとか、しないんですか?」
 「そうだね、そういうこともあったよ。頻繁にではないけれど、仲間の誰かが飲もうって言えば声をかけたし、同窓会行くだろ?とか、そういう連絡にかこつけて、ふたりきりで会ったりもした。」
 「でも、それが恋なのかどうかは分からない、と?僕には──」
 青年は慌てて口を噤んだ。言っていいことのように思えなかった。けれど、男は苦笑いをして先を促す。青年が何を言おうとしたのか疾うに知っている、と言うように。
 「いいよ、遠慮しないで」
 青年は初めて男と目を合わせて、まっすぐに目を合わせて言った。
 「僕には、お客さんはその人に恋をしているように聞こえますけれど」
 「そう。そうだね。その通り。」
 目を逸らしたのは、客の男のほうだった。




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