伯爵令嬢は公爵様と恋をする
Vol.37 最終話



 青や黄色、赤に白。
 キラキラと輝く光が淡く満ち溢れる神聖な空間。
 純白の壁にあちこちからステンドグラスを通して鮮やかな、それでいて穏やかで優しい光の粒子が降り注ぐ。
 上質な焦げ茶色をした扉が開くと、そこに現れたのはマリア様の元まで続く長いヴァージンロード。
 きっとその先にあるのは温かな未来。
 イリーネ様から贈られたヴェールの向こう側で、すらりとしたシルエットが私を待ってくれている。
 一歩、また一歩、確かに踏みしめて彼までの距離を縮めれば、段々と拍手が増えて大きく響き始めていた。
 いつかお父様と歩くのだと思っていたこの道。
 今日私は一人で歩いていく。
 ううん、本当は一人じゃないの。
 確かに感じるあの懐かしい香りと温かさ。
 お父様…。
 一緒に隣を歩いてくれているのね…。
 誰の目にも映らないけれど、私にはわかる。
 芳しい薔薇の香り。
 ハインツが作ってくれたブーケは、お父様とお母様が愛したあの庭に咲き誇った薔薇。
 参列者の中にはクラウスやゲルタ達の姿が見える。
 二人とももう涙で顔がぐしゃぐしゃ。
 それを目にしたら、私まで目の奥が熱くなってしまう。
 でもまだ泣いちゃダメよ。
 ちゃんと歩かなくちゃ。
 彼までちゃんと辿り着いて、愛を誓うの。
 共に未来を紡いでいきたい。
 どんな時だって側にいて、一番近くで彼を支えていきたいって。
 彼がいつだってすぐ隣で支えてくれたように、見守ってくれたように、心から信じて愛してくれたように。
 コツ
 小さなヒール音が澄んだ音を響かせる。
 同時に拍手の波も一瞬で止まり、心地よい静寂が広がる。
「ディートリヒ・バウムガルト、あなたはエルフリーデ・アウシュタイナーを妻とし、その健やかなときも、病めるときも、喜びの時も、悲しみの時も、富めるときも、貧しきときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命の限り、真心を尽くし守ることを誓いますか」
 厳かな神父様の声が辺りに沁み渡る。
「誓います」
 心の真ん中を揺さぶるような彼の声。
 神父様はこちらへ向き直ると先ほどと同じことを、柔らかな声音で問いかけてくれる。
「エルフリーデ・アウシュタイナー、あなたはディートリヒ・バウムガルトを夫とし、二人が共にある限り、いついかなる時でも側で彼を支え、敬い、永久に愛し続けることを誓いますか」
 その言葉に、私は隣に佇む彼を見上げた。
 薄いヴェールの向う側。
 彼もこちらを見つめ返してくれる。
 神様よりも誰よりも、私が愛を誓いたいのはあなただけ。
「誓います」
 アイアンブルーの瞳を見つめて告げた。
 神父様の微笑みが浮かぶ。
「では、指輪の交換と誓いのキスを」
 その言葉が終わると同時に、長く伸びた指が繊細な動きでヴェールを持ち上げた。
 次第に彼の姿が鮮明に映る。
 大きくて逞しい手が私の左手をとって、そっと、ゴールドの指輪を薬指にはめてくれる。
 幅を広めにして「永遠の愛」を意味するトルコキキョウの模様をあしらった特別な指輪。
 私ももう一つのリングを手に取って、彼の骨ばった薬指にはめる。
 どちらからともなく顔を上げると、自然と互いの視線が重なり合った。
 ふわりと青い瞳が細められて、それが合図になる。
 ゆっくり近づく海のような深く温かな瞳をぎりぎりまで見つめて、唇が触れ合う瞬間、ゆっくり瞼を閉じた。
 いつもより高い体温を唇に感じてから少しした後、気付けばいつの間にか私の頬を熱い滴が伝っていた。
 薬指に感じるしっかりとした重みと、彼がくれた温もり。

-おめでとう-

 割れんばかりの拍手の洪水の中で心に響く声。
 お父様…お母様…。
 私、幸せです。
 これからもずっと、ディー様と一緒だから、幸せです。
 愛する人と共にある事、それがどんなに尊い事なのか、今なら心から理解できる。
 不幸のどん底から救い出してくれたディー様。
 初めは何が何だかわからなくて、彼の優しい手を振り払って拒絶したこともあった。
 逞しい腕の中で思い切り泣いたこともある。
 真っ直ぐに届けられる彼の想いに照れて戸惑う事もあったけど、いつだって彼の愛に包まれて護られていたの。
 だから私は私でいられた。
 最後まで真実を追い求められた。
 ディー様のおかげで今がある。
 その人の手に導かれて、今日に辿り着いた。
 …だから…。
「ありがとう、ディー様」
 人々の歓声が上がる中そっと呟くと、彼はとめどなく零れる涙をそっと拭って今度は頬に口づけてくれる。
「さあ、行こう」
 差し伸べられる温かな手。
 私はこの手を信じていけばいい。
 何があっても離すことなく、ずっと繋いで歩いていけばいい。
「はい…!!」
 共に歩き出す未来の先に必ず幸福が待っている。
 そう確信して、私は彼の隣で扉の向こう側に繋がる道を歩き出すのだった。






 それから一ヶ月後の事。
 バウムガルトのお屋敷には色の濃い秋薔薇が咲き乱れ、今日はディー様の誕生祝いをしようと企画していたのだけれど、数日間続いていた眩暈と吐き気を心配されて、ディー様の出勤中にお医者様に見てもらう事になった私を待っていたのは、とびきりのニュースだった。
 用意していたプレゼントより喜んでくれるかもしれない。
 そんな期待を抱いて、ヒルベルトたちと厨房でディナーづくりに精を出し、花や燭台で食堂の長テーブルを飾り付けて彼を待っていると、いつもより慌てたような足音が近づいてくる。
「エル!体の調子は?医者には何と?」
 ただいまを言うより先に私を心配してくれる。
 抱きすくめられたのは一瞬の事。
 思い切り抱きしめられて「おかえりなさい」と言えば、彼はようやく落ち着いたようにテーブルに視線を向けて、
「ただいま…これは…私の好物ばかりだ。どうしたんだ?」
 そう問いかけてくる。
 自分の誕生日も忘れているなんて彼らしい。
 ここの所彼は彼で元アウラー領の立て直しに奔走して慌ただしい日々を送っていたのだから仕方ないけど。
「今日はディー様の誕生日でしょう?腕によりをかけて作ったの」
「あ…そうだったのか、今日は私の…待った。エルが?これを全部作ってくれたのか?」
「ヒルベルト達も手伝ってくれたんだけど、一応全部頑張ってみたんです。喜んでくれると嬉しいわ」
 お菓子や夕食のメニュー一品程度なら今までも作っていたけど、ディナー全部を作って揃えるのは初めてだ。
 ミートパイは端がほんの少し焦げている。
 デザートも兼ねて用意したバースデーケーキは手作り感満載のシンプルなものだし、ちょっと心配だったけど、
「当然だ!喜ばないはずないだろう!嬉しいよ、エル!」
「ひゃあっ」
 ディー様はぱあっと顔を綻ばせて、私を抱き上げたままくるくる回り始める。
「ちょ、ディー様っ!?ストップストップ!」
 慌てて止めると、私の様子がよほど必死だったのか、怪訝な顔でディー様は動きを止めて顔を覗き込んできた。
「エル?まだ具合が悪いのか?そうだ、医者は何と言っていた?」
 思い出したように再び問いかけて、額と額をくっつけて熱まで確かめてくれる。
 途端に普段より高くなった体温に気付いたらしく、眉間に皺を寄せて今度は抱き上げられた。
「ディー様!?」
「熱がある。ベッドまで運ぶから、食事は全部部屋で摂ろう」
 かつてイリーネ様に向けられた過保護さは以前より幾分程度を増して、現在は私に向けられている。
 寝室に行ったらここを飾り付けた意味がなくなっちゃうわ。
「イヤです」
 きっぱり断ると、一気にディー様の纏う空気が変わった。
 あ、怒ってる。
 でも今夜ばかりは譲れないの。
「ちゃんとお祝いしたいんです。プレゼントもあるんですよ?」
「だからといってこれ以上具合が悪くなったらどうする?熱もあるんだぞ?風邪だとしても甘くみてはいけない」
「風邪じゃないわ」
「じゃあどうして熱がある?」
「病気じゃなくても熱は出ます」
「どうして?眩暈もして吐き気もあるのに」
「全部ちゃんと理由があるんです」
「それをきちんと説明してくれ。でないと何が何でも寝室へ連れて行く」
「…説明したらここでお祝いさせてくれますか?」
「もちろん」
「やっぱりダメ、とか言わないって約束してください」
「ということはやはりどこか悪いのか?」
「違います。念のためです。ディー様ったら過保護なんだもの」
「過保護は私の専売特許だ。覚悟して甘やかされなさい」
「でも運動不足は余計体によくないって言われました」
「ん?どうしてそんな話になる?」
「適度な運動は母体にも子供にも良いそうです。だから体は積極的に動かさないと!」
「…母体…?」
 ぴたり、とディー様の表情が固まる。
 ふふふ。
 私はディー様の顔をそっと覗きこんだ。
 作戦はどうやら成功みたい。
 驚きすぎて思考がついていかないのか、ディー様は目を点にしていた。
「ディー様に、良いお知らせです」
「つまり、まさか」
「はい。家族が増えたみたいです」
「か、ぞくが…」
「はい」
 言葉が続かないディー様の手を取って、まだ何の反応も示さない腹部にあてる。
 でも確かに新たな命は息づいている。
 一生懸命その存在を教えてくれていたのだ。
「これが具合が悪かった理由です。分かっていただけましたか?」
「ああ…分かった。分かったんだが…いや、その、ここに…エルのここに、いるのか…?私と、エルの…」
「ええ。ちゃんと、いてくれてますよ。だからずっと、生きてるって、教えてくれてたんですね」
「そう、か…そうなんだな…生きてるのか…生きて…」
 まるでうわ言みたいに繰り返しつぶやいて、何度もまだ平らな私のお腹をさすり続ける。
 それから不意に全て合点がいったように静かに私を下ろすと、ぎゅっと力を加減しながら強く抱きしめてくれた。
「どうしよう、どうすればいい?」
「?」
「今すぐ叫びだしそうだよ。エル…嬉しくてたまらないんだ。嬉しくて嬉しくてたまらない。ありがとう、エル…!!」
 ディー様はそう言ってしばらくの間抱きしめる腕を緩めることはなかった。





 こうして日々、未来は慌ただしくも幸せに包まれた時間を刻み続けていく。
 確かな愛がそこにある限り、大切なものはいつだって側にあり続ける。
 ねぇディー様。
 あなたが私に教えてくれたの。
 恋をすること。
 大切な人を信じ続ける事。
 大切な人を見守り、支え合う事。
 誰よりも深い愛情で包み込む事。
 その全てが、私に新たな希望をくれた。
 私の幸せはいつだってあなたの側にある。
「ありがとう」
 何よりも伝えたい言葉。
 これから私たちの役目はまた名前を変えていくけれど、これだけは間違いないって断言できるわ。
 妻になっても、母になっても、いつかおばあちゃんになっても、きっと。
 あの時の鼓動が跳ねる音を、どんなに時がたっても覚えているわ。

 私は永遠に、あなたに恋してる。










 完
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