ボレロ - 第三楽章 -


「父が家を出ました」


「どういうことだ!」


「母と口論になり、父の方が家を出ました。離婚するつもりはなさそうですが……」


「おまえと蒔絵さんとの結婚が原因か。俺が親父さんに婚姻届の証人を頼んだからか」



私の言葉に平岡は大きく首を振ったが、やるせない顔が深い悩みを示している。



「いえ……先輩には関係ありません。親父も、これ以上おふくろの言動に耐えられなかったのでしょう。

まぁ、僕の結婚が発端になったのは否めませんが」




「父 母」 と言っていたのが 「親父 おふくろ」 と口調が変わったのは、自分自身を落ち着かせるためか。

彼の表情は大きく変わらないが声の振るえは隠しようがなく、気持ちの振れの大きさが感じられた。

なにより息子が大事である母親は夫を省みることは少なく、父親は仕事に気持ちを向けることで家庭の均衡が保たれていた。

しかし、母親が反対する長男の結婚を父親が認めたことから、夫婦のバランスが崩れてきたのだと、平岡は両親の不仲を冷静に分析しながら私に語った。

いつかはこんな日がくるだろうと思っていた、けれど、弟が結婚するまでは持ちこたえるだろうと思っていたが、親父の忍耐が持たなかったようですと、このときばかりは泣き笑いの顔を見せた。



「親父も自由になれてほっとしているでしょう。 

おふくろは多少気に病むでしょうが、平岡の家にいる限り対面は保てます。

弟のためにも両親の離婚はないはずです。離れても夫婦であることに変わりはありません。

こんな夫婦の形もある、それだけのことです。気にしないでください」



気にするなと言われても、突き詰めれば平岡の結婚が引き金になったのだ。  

そうなるように仕向けたのは私であり、関与がないとは言いきれない。

蒔絵さんとの結婚は喜ばしいが、それによって平岡の両親が別居したとは……

私も平岡と同じく深いため息をもらしていた。



「旅行の前日に、こんな話をしてすみませんでした。 

落ち込んでいるとか、そういうことはないので大丈夫です」 
 

「わかった……今日は早く帰って旅行の支度だ。船に乗り込め、ば気持ちの切り替えもできるだろう」


「そうですね。では、失礼します」



明日も出社するような挨拶を残し、平岡は帰っていった。

無理に元気な笑顔を作り、私を心配させまいとする彼の気持ちがわかるだけに、苦しみを吐き出すことなく虚勢を張る姿が痛々しかった。

船旅の三週間が、平岡にとっても良い旅であって欲しいと願うばかりだ。


都会の夜空を見上げた。

明るく照らされた街から垣間見える空に雲はなく、明日の快晴を予想させた。  



  
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