メモリ・ウェブスター
「俺はお前のような色男が好きだ。では、頼む」
 私は院長に近づき、頭部に触れた。大脳新皮質を探る。長期記憶がいいだろう。彼が長年溜め込んで来た顧客との信頼関係を元妻に見せるのが良い。感謝され、いかに感謝を与えてきたか、という純粋な部分を大脳新皮質から抜き出し、CDディスクに収めた。その間の院長は何が起こったかわからない。記憶を抽出する際に、一種の麻酔作用が掛かり、おそらく彼の脳内はふわふわの綿毛に包まれている錯覚に陥ってるはずだ。そして私は瞬時に、〝記憶を編む〟
「終わった」
 私はCDの中心に空いている穴に人差し指を入れ、院長に見せた。
「魔法だな」
 と院長。
「魔法という抽象的な表現は止めてもらいたい」
 と私は不快感を露わにし、「技術だ」と訂正した。
「プロ意識高いねえ」
 と院長が茶化す。
「戻るといいな。奥さん」
「そう言ってもらえると心強い」と院長。
 私は院長の記憶が詰まったCDを丁寧にケースにしまい、鞄にしまった。仕事は終わった。私は院長に背を向けた。
 立ち去ろうとした時、「なあ」と院長が私を呼び止めた。「なぜ記憶なんかを運ぶような仕事をしている?」
「そこにニーズがあるからだ」
 私は即答した。
「いいねえ。その答え。なら、政府に仕える身では自由がきかないんじゃないか?」
 私は院長の問いに無言になり、すぐに思考を抽出した。「流されて生きるのも、それはそれでいい」
 その一言を残し、私は歯科医を後にした。背後から、ありがとう、ありがとう、と邪気のない純粋なる子供のようなあどけない声で院長が礼を放った。 
 即日、私は元妻の自宅にインタホーンを鳴らし、お届けものです、と儀礼的な文言を垂れ、伝票にサインを貰い、記憶が詰まったCDを届けた。そこに私は些細な仕掛けを施した。元妻が記憶を再生させるときに、曲が流れように小細工した。せっかくCDタイプのディスクなんだ。それぐらいはしてあげたい。
 曲は、ビートルズの『Love She You』。
 そういえば、この曲の日本語タイトルってなんだっけ?私は首を傾げた。
「もお。待ちわびたぞ―――好きなんだって」と伝票にサインをし、私はそれを胸ポケットにしまった。
 そうだ、日本語タイトルは、『好きなんだって』、だ。
 その後、院長が元妻とよりを戻したのかは知らない。多くの時間が流れ、多くの人が街を闊歩する。記憶は蓄積され、目減りする。縁があればまた会うし、なければそれまでだ。時間は限られてる。だから私は〝記憶〟を届けなければならない。
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