桜舞う
「えっ…兄が…?」

いつものように吉辰と辰之介と鈴姫で夕餉を囲んでいると、吉辰から兄の橘直之が三日後に和那の国に来ると知らされた。鈴姫はあまりにも穏やかな暮らしの中で、兄のことをすっかり忘れていた。
兄が来るということは、間違いなく自分は離縁が近い。鈴姫は今までの経験からそう感じた。嫁入りからすでに三月が過ぎていた。

「鈴姫どうした、そんな暗い顔をして。」

尋ねたのは辰之介である。鈴姫ははっと顔を上げ、急いで笑顔を繕った。

「いえ、その…兄に会うのは久しぶりなので何もお変わりないかと思いまして…。」

鈴姫の言葉を聞いて辰之介は兄思いだのうと上機嫌な様子で笑っていた。


夕餉の後、鈴姫は気持ちが沈んだまま寝所で吉辰を待った。正直に言ってしまえば、今にも泣き出したいくらい、鈴姫は気持ちが溢れ出しそうであった。
今まで散々な思いをしてきた嫁入りだが、吉辰の嫁になってからはもったいないと感じるくらい穏やかな日が続いているのである。そしてなにより、吉辰が鈴姫を大切にしてくれている。悪夢を見ることもなくなるくらい満たされていた。
もう鈴姫は壁の向こうに閉じこもる術を知らないのだ。

考えにふけっていると、吉辰が夜着に着替えて戻ってきた。
吉辰は鈴姫と向かい合うように腰を下ろした。

「大丈夫か鈴?」

吉辰の顔を見た瞬間、鈴姫の涙は一気に溢れ出した。そして迷わずその懐に飛び込んだ。

突然鈴姫が飛び込んできたので、吉辰も最初は驚いた。鈴姫が自分から吉辰に触れてくることは滅多にない。ましてや抱きつくなど恐らく初めてである。
しかし、きつく抱きついてくる鈴姫を吉辰は包み込むように抱きしめ、小さい背中をさする。

「吉辰様…約束して下さい。鈴を決して離さぬと…。」

吉辰は鈴姫が何に怯えているのかはなんとなく分かっていた。鈴姫の言葉はまるで地獄からの願いのように聞こえ、今は強く抱きしめることしかできなかった。

「約束する。鈴は死を分かつ時までわしの妻じゃ。」
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