琥珀色の時間
琥珀色の時間


キャンバスに横たわる女の首筋には必ずホクロがあった


『S嬢の午後』 と題名のある 良家の若い女性を描いた 白磁のように透け

るような肌にも

『空虚』 と名づけられた 場末の酒場に描かれた 荒れて乾ききっ女の肌

にも 左耳から数センチ下った場所に 真っ黒い印が付けられていた 


描く女性の絵に ホクロがあるかなしかで価格に差が出るほどで

彼に深く関わった女性がモデルではないかと 一時はモデル探しに躍起に

なっていたマスコミも本人が沈黙を通したことから 謎を追いかけるのを

やめてしまった
 


彼の成長を見るのが私の楽しみだった

どれほど忙しくても 個展の初日に必ず見に行くことに決めていた

仕事柄 事前に会場に入る特権もあったが それでは観覧者の手ごたえを

感じることは出来ない

本来なら 彼の描く絵だけを評価の対象にすればいいのだが 私にとって彼の

成功は身内に近い感覚で喜ばしいものだった


この絵が好きだと言う人がいれば まるで自分が褒められたように胸が熱く

なり筆のタッチが変わったみたいだと言う人がいれば よくぞ気がついてくれ

ましたと 駆け寄って手を握り締めたいほどだ 


彼の絵は 構図にとらわれず テーマに縛られず 常に高みを目指す姿勢が

キャンパスに現れている

その中で ずっと変わらぬものが 女性の首に描かれるホクロだった

絵の中の女性の 鏡の前で髪をかき上げる手がその位置を示し 

寝台に身を投げ 乱れた髪の隙間からのぞいた首筋にも印されている

誰も私のことなど見ていないのに 左手を首筋に添え 私の印を隠しながら絵

を眺める

それは 彼と過ごした時間を思い出す 極上のひとときになっていた



「個展を開けるようになったら 私に招待状を送って」


「わかった 忘れずに送るよ だからアナタも必ず来て」


「行くわ 約束する」


「約束だよ」



最後のベッドのあと 私は彼を抱きしめて こう頼んだ

私から別れを切り出しておきながら 僅かなつながりを持っていたくて 思い

ついたように口から出た言葉を彼は守り続けている

別れて3年ほどたったころから 2・3年に1度送られてくる招待状は この

十数年絶えることなく私の手元に届けられていた



あの頃 彼はまだ学生だった

純粋に私の言葉を聞き 私の意見に従った

何かを掴み取ろうと もがき あえぎ 苦しみながらキャンパスに向かい

時折見せる人懐っこい表情が 私を慰め癒してくれた

私を笑わせようとおどけた顔は歳相応に見えたが 組み敷いて上から見下ろす

顔は大人の男の形相だった


彼のことは何も知らされず 名前だけは知っていたが そのほかは謎のまま

スコッチを好んで飲み グラスを手にした様子は 歳に似合わぬ風格さえ

あった

彼の舌は上質の物だけを受け入れ アメリカやアイルランド製のものはスコッチ

ではないと言い放つ言動から 上流階級の出自であるだろうとは予測できた

彼の経歴など二人の前では無意味だったが 隠し切れない品を持ち合わせて

いることは充分に感じていた



「僕のことは ”J” って呼んで」


「ただの J  なの? わかったわ それじゃぁ 私のことは……」


「”ビィー” って呼ぶよ それがいい」



私の答えも聞かず 決め付けるように彼はこう言った

質問や反論は受け付けない そういったものが彼から常に感じられた





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