唇が、覚えてるから

こんなのあるまじき行為だけど、一分でも早く病棟に戻らないと稲森先輩に叱られる。

今は自分の身を案じることが精一杯。

聞こえないふりをして、俯き加減でスタスタ歩き続けた。


「あの、すみません!」


けれど、その声は遠ざかるどころか大きくなるばかり。


………。


………あぁ。

やっぱり無視なんて出来ない。

足を止める。


私が目指すのは、心優しい白衣の天使だから。


「どうかされましたか?」


役に立てるか分からない。なら、せめて笑顔だ。

今気づきました風に、いつもの満面の笑顔で振り返って。


「……っ……!!」


息をのんだ。

そこには、ビックリするくらいカッコイイ男の人が立っていたから。

少し茶色がかった柔らかそうな髪の隙間から覗く瞳は、切れ長で涼しげで。

私は思わず立ち尽くした。
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