RED ROSE
助けて


 まるで押し潰すように広がる曇。

 空一面を覆う灰色の雨雲は、いかにも重そうにそこに停滞している。いや、停滞というよりは、朝の満員電車のように身動きできないと言った方が似合う。重たく、どんよりと、加えて温く湿気を含んだ空気。そんな空模様に、彼はため息をついた。

 ――降るなら降れよ。

 青色の作業着の襟を指ではためかせ、布と肌の間に温い風を押し込む。すっかり温くなってしまったペットボトルの麦茶が、あおった喉を不快に過ぎていった。

「朝比奈(あさひな)」

 突然、事務所の窓から男性が顔を出し、ペットボトルのキャップを怠そうに絞めていた彼の名を呼んだ。

「そのバイク、終わりそうか?」

 常に大音量で流されているFMに負けじと、男性が声を張り上げる。

「はい! 後はチェックするだけです!」

 朝比奈と呼ばれた彼も、FMに負けじと大声でそう返した。

「相変わらず作業早いな! 俺、これから納車だから、お前、三浦(みうら)たちと後、頼めるか?」

「大丈夫です!」

 どこか、油と埃臭い作業場。彼の返答に安心した様子で、男性が事務所内に顔を引っ込める。彼――朝比奈大翔(ひろと)はそれを確認すると、アスファルトから重たく腰をあげ、作業着についた砂を払った。




 コンビニの袋が乾いた音をあげる中、仕事を終えた大翔は家へと歩いていた。

 蒸し暑い夜道。いつもはバイクで通っているが、今日は職場に置いてきた為、電車と徒歩での帰宅となっている。夜なら涼しいかと少し期待して職場を出たが、その淡い期待は、午後七時にはあっさり裏切られていた。

 ――鈴虫か。

 先程から、街路樹の中からだろうか、鈴虫の合唱が聞こえてくる。普段はバイクなので気に止めた事もなかったが、こうして歩いていると、街の喧噪が鼓膜を揺らし、少し新鮮だった。

 さすがに星は見えないな。ふと立ち止まり、天をあおぐ。しかし、思った通り、街灯やネオンの灯りで、空は暗く認識されるだけだった。

 ――当たり前か。ここは、あの街とは違うんだから。
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