RED ROSE
こんな父親のいる世界に、娘をおいて逝く。それは余りにも大きな心残りであり、一方で、死を選ぶ事がただの身勝手な逃避にしか思えず、彼女の胸を締め付けた。
確かに過去、この男とのセックスを悦んでいた時期があった。この男の“妻”と呼ばれる事を嬉しく思っていた時期があり、娘を身ごもった時、自分は人生の勝ち組だと歓喜した。しかし、今は全く逆の気持ちしかなかった。酒臭い息と脂ぎった掌で全身をまさぐられる。撫で回される。「気持ちいいだろ?」と、決めつけられる。
レイプ願望等ない彼女にとって、非合意なその行為は嫌悪に値した。
――わたしも、出て行こうか。
高いびきをかく背中を苦々しく見つめながら、彼女はため息をついた。
――無理よね。
そう、いつもここで思い直してしまう。なぜなら、お嬢様育ちの彼女には、働いた経験がなく、また、手に職もなかったからだった。
荷物をまとめて出て行くのは簡単だろう。しかし、その先は?
厳格な父は恐らく離婚等許さないだろう。そして、母親は父親に逆らえない。そう、いつだって母親は父の後ろに座って黙っている。
――何だ。
突然おかしくなり、彼女は口元を歪めた。
“父親に逆らえない母親”
何だ、自分と変わらないじゃないか。……嫌な遺伝だ。
少女の悲鳴が聞こえた。
実際には耳にし得なかった悲鳴だったが、その叫びは確かに大翔を捉えていた。
「光!」
悲鳴のした方に向かい、大翔は叫んだ。しかし、進んでも進んでも、彼女の元へたどり着けない。
「助けて! 誰か助けて!」
闇の中から彼女の泣き叫ぶ声が再び聞こえてきた。
「光!」
大翔はもがくように足を動かすが、まるで底無し沼にはまってしまったように、腰から下が言う事をきかない。
「いやぁ!」
悲鳴がこだまする。
「ひろとぉぉぉー!」
まるで断末魔のような悲鳴が、彼の名前を呼んだ。
「光!」
目には見えない大きな闇が、まるで覆い被さるように大翔を飲み込み、息ができなくなる。