RED ROSE


 ショックを受けていないと強がっても、誰も信じないだろう。こんな時、漫画やドラマの主人公はよく、馬鹿みたいに空元気をだしてみたり、逆に取り乱して号泣し、友達にすがり付いたりするが、今の美玲は、どちらもやる気にはなれなかった。何かを考えて行動する事すら、辛かった。いっその事、このまま石にでもなってしまいたいくらいに、打ちひしがれていた。

 “打ちひしがれる”。

 今夜の彼女には、本当にこの言葉がぴったりだった。本当ならこんな時、わざわざ大翔と同じ空間にいる必要もないし、できればいたくない。しかし、他に行く宛もない。まるで針の筵のようなここにいるしかない。しかしそれでも、“あの家”よりはマシな気がした。

 長湯をしすぎたのか、頭がくらくらするような感覚を覚え、美玲は慌てて湯船を出た。今夜はこのまま寝てしまおう。眠れる自信はなかったが、一人でいたかった。

 ――お酒でも飲めたら……少しは楽なのかな。

 ふと、飲んだくれの父親の姿を思い出し、すぐにかぶりを振ってその映像を追い出す。ここでもし飲酒して酔っぱらったら、あの男と同類に成り下がる気がして、気持ち悪くなった。

 ――大翔さん。

 拒絶されても、そう簡単に気持ちは変わらない。人間の気持ちは、ゲームのように簡単にリセットはできない。できたらきっと楽なのだろうが、そうでありたくはなかった。

 もう寝よう。肩先から冷えが全身に広がる。美玲は一旦思考を中断し、シャワーの蛇口を捻って少し熱めのお湯を浴びた。と、油断した頬に、別の温度の液体が滑った。




 頭上の荒い息遣いに、彼女は目を閉じて耐えていた。

 酒臭く、不快極まりない息遣い。欲望のままに、自分の所有物と思い込んでいる女を組み敷いて、鬱憤をはらすべく、滑稽に腰を振り続ける下等生物。“夫”、“男”、“亭主”、“旦那”。呼び名はもう、どうでもいい。一つ確かなのは、これが“幸福”じゃないという事。“地獄”であるという事だけ。

 彼女は知らなかった。いや、想像を越えていた。まるで終わりを知らないこの夜が、こんなにも苦痛だとは。殴られているだけでも充分辛かったが、これに性的暴行が加わる事で、その度合いは軽く数倍は跳ね上がった。そして、そんな苦痛を今まで、娘に押し付けていた非情さにも、彼女は同時に気付く事となった。

「……寝るぞ」

 やがて夫という下等生物が作業を終え、彼女から体を離し、いかにも怠そうに側の酒瓶に手を伸ばす。そのまま一気に酒をあおったそれは、そのままベッドに潜り込み、すぐに高いびきをかき始めた。

 ――死にたい。

 それは、率直な思いだった。こんな苦痛に耐えねばならないなら、いっそ死んでしまいたい。しかし、実行には移せない。理由は――娘。
< 37 / 87 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop