RED ROSE


 “助けて……”

 風がざわめき、美玲の制服の襟を揺らす。鎖骨の下に一瞬、黯褐色の痣が見え、大翔は息を呑んだ。

「また、来てもいいですか……?」

 痣を見られた事に気付かない様子で、美玲が囁くように訊いてきた。大翔はその言葉に驚いたが、表情には出さなかった。いや、普段からポーカーフェイスなので珍しい事ではなかったが、驚きを表情に出してはいけないと、咄嗟に顔の筋肉をコントロールした。

「あの、えっと……」

 何となく気まずい空気が二人の間を漂う。どう応えていいか戸惑いながらも、この気まずく重い空気を何とかしたくて、大翔がとりあえず口を開いた瞬間――。美玲が踵を返し、その場から走り去って行った。短丈のチェック柄のプリーツスカートが、ゆらゆらとはためきながら遠ざかってゆく。大翔は唇を噛み、後味悪そうにそっぽを向いた。

 ――これでいい。

 垣間見てしまった痣や「助けて」と発せられた言葉、何かを訴えている潤んだ瞳が胸を微かに締め付ける。しかし、大翔はあえてこれでいいのだと、自分に言い聞かせた。警察でも何でもない、ただの通りすがりの男。そんな自分に、一体何ができるのか。

 一人になって一気に疲労感に襲われる。大翔は部屋に入ると着ているものを全て脱ぎ捨て、ユニットバスのドアを開けた。シャワーから温めのお湯を出し、頭から被る。やや長めの茶髪が、頬と額にべっとりと張り付き、不快感を覚えた。

 ――俺には何もできない。これ以上は深入りしない方がいい。

 お湯が首筋から背中へと流れる。美玲がここへ来る事もないだろう――。そんな、漠然とした予感で全てを締めくくり、顔に張りついた髪を掌で後ろに流す。胸骨に刻まれた、黒十字架に絡みつく紅い茨のTATOOが、まるで泣いているように濡れていた――。




 翌朝、ドアの方で微かな音を聞き、大翔ははっと目を覚ました。

 一人暮らしのせいか、物音には敏感に反応するようになっている。

 何だ? 寝起きと言う事と、早朝と言う時間帯から、若干、不機嫌な足取りでベッドを出、玄関へと向かう。誰が見ている訳でもないのに、怪訝な顔で鍵を開け、ゆっくり玄関を開けたが、そこに人の姿はなかった。

 いたずらか? 小さく舌打ちをする。昔、ピンポンダッシュと言うのが流行ったが、インターフォンは押されていない。しかし確かに音はした。

 空耳か。眠気もあり、さっさと思考を中断しドアを閉めようと腕を引く。と。死角となっている外側のノブで、ガサリと音がした。

 ――えっ?

 空耳ではない確かなその音に、大翔が身を乗り出してそちらへと顔を向ける。ドアノブに、猫のイラストのついたピンクの手提げ袋がかけられ、重そうに揺れていた。

 大翔にはあまりにも可愛らしく、似合わない手提げ袋。一目で少女の持ち物と判るそれに、大翔は立ち尽くした。

< 9 / 87 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop