若と千代と通訳
臣くんのはなし


臣は母子家庭で育った。
父親は死んだのか離婚したのか知らない。
一級建築士の資格を持っていた母のお陰で、片親にありがちな金銭的な苦労という苦労をした覚えがない。
中学は全国でも有名な中高一貫校の進学校に入り、部活では弓道をはじめ、充実した学校生活を送った。この頃から図体が異様に成長しだして、街中に出ると無駄に注目を浴びることもあったが、友人たちに恵まれたお陰で体格のよさはコンプレックスにはならなかった。
中学二年に上がった頃だった。
母親が殺された。
家に帰った臣を出迎えたのは、血を流して床に倒れる母親とナイフを持った中年の男だった。
男は異様な眼つきで臣を見つめたかと思うと、腰を抜かした臣の顔めがけてナイフを振り上げた。ひどく緩慢な動きに見えたが、臣の体は石になったかのように動けず、避けることも叶わなかった。
ナイフが左眉を掠めていく。
男が狙いを見誤ったのは、臣の背後から飛んできた銃弾で撃たれたからだ。
『無事か』
そのとき駆けつけたのが、若かりし頃の志摩である。

その後は、怒涛の日々だったとしか臣は記憶していない。
気付いたら近藤組の本宅に招かれ、九代目組長の血を引くことを知らされた。
臣の母親は職業を伏せた九代目と一時期交際しており、その頃にできた子であったと言われたが、実際は妾のような立場だったのだと臣はなんとなく理解した。九代目には既に本妻の子、つまり自分の腹違いの兄、宇佐美がいたからだ。
母親を殺したのは、宇佐美を信奉するあまり跡目相続に懸念を抱いた組の男だった。
たとえ組から離れた落とし子とはいえ、臣が宇佐美の跡目相続の障害になることを恐れたのだろうとのことだった。
臣はそのまま近藤組に引き取られ、二番目の子として保護されることになった。
とはいえ、保護とは名ばかりで、正直、地獄だったとしか言いようがない。
中学は辛うじて卒業だけはしたが、どこからか漏れた噂で居場所がなくなった。
ヤクザの息子――。それは善人を遠ざけるのだと、妙に納得したのを覚えている。
とはいえ、気のいい友人の何人かは臣のもとに残ってくれた。
一番の変化といえば、人の死が身近になったことだ。
床に広がった臓物と血溜まりを直視することに慣れる程度には、身近だった。ヤクザといえど、早々人の死にかち合うものではないと兄貴分たちは言っていたが、あえて臣を血生臭い場所にばかり連れまわしたのは、九代目の指示らしかった。
それから拳銃の扱いを覚え、火薬の匂いに安堵を覚えるようになった。
普通なら高校に上がる年齢の頃には、既にセブンスターが心の支えになっていた。
教育係に任命された志摩は、臣に親身だったが、それ以上に厳しかった。
それこそ冗談でなく、死ぬ気で鍛えられた。
『この家業はそれこそ腐るほど映画やら本やらに取り上げられてますがね、現実はテレビみたいに撃たれてはい死んだ、じゃ済みません。へたすりゃ数時間は激痛に苦しめられたまま生き続ける。生きたままコンクリに埋められて湾に沈められる。男に集団レイプされる。或いは指一本動かせないような重度の障害が残る。まだ若いのに、ばばあの看護師にシモの世話やかれたくなけりゃ、死ぬ気で相手を殺すことですね』
ちなみに志摩は、面倒を見てくれる看護師が若くて美人なら寝たきりになってもいいと公言した。
志摩は九代目の信頼も厚い兄弟分だ。そんな男を世話役にするなど、臣は将来、重要なポジションに就くと明言しているようなものだった。
志摩もそれを承知で、とにかく臣にこの家業で渡り合っていく術という術を教え込んだ。
七人目に殺した男は、母親を殺したあの男だった。ご丁寧に始末せず、臣が使い物になるまで組のほうで管理してくれていたらしい。
自分で殺して自分で埋めた。
復讐心というよりは、ただ与えられた仕事として淡々とこなすような気持ちだった。
そうして気付けば第二の志摩と言われるまでになっていたが、女に関してだけは、臣は生まれながらの潔癖さで志摩のように深みにはまったりしなかった。むしろ親代わりともいえる間近な人物が、抗争での怪我より女にうつされた性病で通院することが多かったというのが、一番の反面教師だったのかもしれない。
ただ殺し殺し殺しの毎日だったような気がする。
対抗組織のしのぎに突っ込んで殺るだけ殺ったときもあれば、山中に呼び出した裏切り者を黙々と埋めた夜もあった。
ふと我に返ったときには、言葉を話すことを忘れていた。
組に属する医者が言うには、母親の殺害現場を見たことがトラウマになり、更にはその後の異常な日々も原因らしかった。むしろ平凡極まりない中学生がいきなり血生臭いヤクザの世界に突っ込まれて異常をきたさないほうが怖い。
ただ、既に臣は死体も犯罪もセブンスターも、今更手放せないほどの場所にいたし、それを問題だとは感じなかった。言葉はなくとも、傍にいる志摩だけが臣の表情や仕種で意思を解し、周りとのコミュニケーションをとりなしてくれていた。今思えば、それが臣の無言に更に拍車を駆けたのかもしれない。
やがて臣は、近藤組における実力行使の代名詞になっていた。
そうなるよう仕組んだのは、臣に目を掛けてくれた九代目と志摩に他ならない。
頭はいいが温厚で血を好まない宇佐美を支えるための駒として、ふたりは臣を育て上げたのだ。
それを恨むつもりもなかったが、それでも割り切れない部分は澱となって臣の腹にたまり続けた。それが飽和することがあるのか、飽和すればどうなるのか、今現在の臣にもわからない。
ただそうして、異常な世界に身を置いていた臣にも穏やかな時はあった。
九代目の旧友だという堅気の男と縁側で茶をすること――まだまだ思春期である青年には退屈そうなそれも、刺激的過ぎる日常を過ごさなくてはならない臣にとっては唯一の平和だった。
男の家は田んぼに囲まれた田舎にあり、縁側の大きな日本家屋だった。
庭の松、紅葉、イチョウを眺めながら、男はよく言っていた。
長い指で臣の短い髪をぐりぐりと撫でながら、真摯な眼で、臣を見て。
『腐るな。お前みたいな巨体が腐って死んだら、臭くてかなわねえからよ』
まるで浜に打ち上げられた鯨のような言い草であるが、過酷な環境だが、腐らずやれ、と励まされているのはわかった。
男が笑ったときにできる笑い皺が、臣は好きだった。九代目の触れれば切れるような雰囲気も嫌いではなかったが、男のどっしり構えたそれには、周囲の背筋をぴんと伸ばさせるような、そんな空気があったのだ。
堅気の普通の孫がいるおっさんだったが、その泰然自若なさまは、臣を落ち着かせた。
たまにくる男の孫だという女の子も、臣のかさついた心を癒す存在だった。血の匂いなんかしない、化粧も香水もしていない、まだ子供の柔らかで無垢な空気が、男の雰囲気と相まって、臣を優しくさせた。
母親を亡くして同時に失った平凡な日常が、そこには確かにあって、いつでも臣を優しく迎えてくれていたのだ。
そうして男の葬式で出会った、十七歳に成長した男の孫娘の泣き顔に一目惚れして今に至る。
男が生きて現状を知れば、問答無用でぶん殴られるかもしれない。


というようなことを、臣は時々黙り込みながら、言葉足らずに、葬式での一目惚れは恥ずかしいので内緒にして、千代に話して聞かせた。
長い長い話を聞き終えた千代は一瞬考えをめぐらせるように視線を落とすと、すぐに顔を上げた。
臣をじっと見つめながら、真剣な表情で口を開く。
「……私、この前のデートで言えなかったことがあるんです」
その言葉に、臣はなにを言われるかと身構える。
そんな臣の大きな身体に擦り寄るように近付いて、千代は笑った。
「『また、一緒におでかけしましょう』」
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