涙を拭いて

少女の正体

少女は、後ろで軽く髪を留めていたゴムをはずし、ふさふさとした黒髪を垂らした背中をこちらに向けていた。そして、固く握りしめたこぶしで自分の頭をゴツンゴツンと殴りながら、床に突っ伏していた。幅の狭い肩が、小刻みに震えている。彼女は、喀血しているような様子で、嗚咽を漏らしていた。



「失礼します。どなたかいらっしゃいませんか」


僕の背後で、年配の女性の声が響いた。僕は受付という自分の役割を思い出して、あわててカウンターに戻った。


「はい、こんにちは。部屋のご利用ですか」

マニュアル通りに挨拶すると、その女性は、じろじろと辺りを見回した。


「あの子は」


「あの子……」


「わかっていますよ。あそこでしょう」


たるみきった顔を派手な化粧でめかし込み、高飛車な態度をとるその女性は、つかつかと「泣き部屋」に近づき、引き戸をガチャンと荒々しく開けた。


「ちょっと!何するんですか!そこにはまだ……」


女性の横暴を制止するべく駆けていった僕の目の前に、少女がまうつむいたまま腕をつかまれて引きずり出された。彼女の体は脱力し、まるで魂が抜けてしまっているかのようだった。女性は少女の背中をばんと叩いて言った。


「行くわよ、カナコ。プロでしょ」


「はい、ママ」


カナコと呼ばれた少女は、顔を上げて僕を見た。その顔は、涙の痕は残り、眼は充血しきっていたものの、女優がテレビで見せるような、背筋が寒くなるほどに完璧な笑顔を浮かべていた。


二人が出ていった後、僕はひとり取り残されていたが、彼女の名前を確認しようと、少女が書いていった来室者リストを手に取った。そこには、ただ「香奈子」とだけ書かれていたが、その瞬間、僕は突然あることを思い出して、「泣き部屋」に入ると、消されたテレビをもう一度つけた。


……涙を拭いて、歩くよ。あなたの面影を抱きしめて。


画面の中では、さっきの少女かま、ひらひらとフリルが揺れる衣装を身につけて踊りながら歌っていた。


香奈子。


それは、最近大ブレイクした中学生アイドルの名前だった。


僕は、いたたまれない気持ちでいっぱいだった。最後まで彼女に気づいてあげられなかった自分を恥じた。いや、僕が流行に疎いから気づかなかったのではない。僕は、人間存在そのものに疎かったのだ……。


ふと、足元に何か落ちているのに気がついた。拾い上げると、それは、さっきの黒猫の写真だった。


母親に踏み込まれた際に、忘れていったのだ。今頃どんなにショックだろう。あんなに大切そうに見せてくれたのだから。


事務所を通じて、届けてあげよう。そう思いながら、僕は写真を見つめていた。
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