罪でいとしい、俺の君
「フッ……」
「征志郎?」
「いや…何でもない」
「可愛い猫からメールでもきたか?」
「ああ…そうだな」
「三年かけて漸く会う事が出来たわけだし。ご機嫌がいいのも仕方ないかな」
「…俺は普段と変わらんぞ」
「左様で御座いましたか。それは失礼」

秘書兼親友の井原一樹。生まれた頃からの幼馴染みなだけに、付き合いが三十年を越えると余計な事まで気付かれる。井原の親父が俺の親父の秘書だったせいか、当たり前のように俺の秘書に収まった。

三年――俺には長くも短くもあった。
リアの母親が事故で後遺症を負った当初、甲斐運輸の業績は酷いものだった。【甲斐】の名を貸した形で子会社に名を連ねているだけのお荷物赤字会社。その矢先の事故だった。
当時、数名の取締役の一人に名を連ねていた俺は、親父の指示で行きたくもない謝罪の為に瀬名家に向かわされた。
そこで見たのがリアだった。まだ高校に上がったばかりの初々しい姿で、車椅子の母を支えていた。

何日も通っていた。誰かと待ち合わせる振りをしながらリアの様子を窺う事もあった。
気丈に振る舞い、両親にも笑顔で接していた。嘆く母を笑わせ、父の背を押す。
一回り以上も年下の少女に、目を奪われるのに時間はかからなかった。真っ先に井原に気付かれたが、まだギリギリ犯罪だと言われるに留まった。

「法律的には結婚も出来る。もう手を出しても問題ないぞ、征志郎?」
「ガキ扱いしたら同じ事を言っていた」
「セマられたのか?」
「莫迦か」
「冗談だ。だが花嫁への支度金のつもりで親権獲得可能な親族に誓約書まで書かせて買収してるんだから、反対する奴はいないだろ?」
「本人以外はな」
「さすがはKAIコーポレーションの若き代表取締役だ」
「リアには取締役とだけ言ってある」
「はいはい、余計な事は言わないさ。親友の三年越しの恋だからな」

井原はバックミラー越しに笑った。俺はリアにメールのレスをする。目にした時の反応を思い浮かべながら…。







【飼い猫らしく大人しくしてろ】

「あ~!ムカつくっ」

思わず携帯をへし折りそうになりながら、一階のリビングのソファに寝転がった。私…ホントに甲斐征志郎に飼われちゃってるわけ!?
デイトレードも時間は決まってるし、それ以外をネットサーフィンするにもいずれ飽きるだろうし。


「大人しくしてたか?」
「…暇すぎて気力も削がれたわ」
「井原」

昨日の夜、そんな名前聞いたような…。

「征志郎の秘書の井原一樹。よろしくね、リアちゃん?」
「…はぁ」

秘書の井原さん。どちらかと言うと中性的で、粗野で男らしい感じの甲斐征志郎とは全然違う。名前呼び捨てって事は仲いいんだよね?

「暇なら映画のDVDでも用意するよ。明日の朝にでもリストを征志郎に渡してくれれば昼には用意出来るし、それ以外も随時征志郎にメールしてくれたら可能な限り対応するからね」
「ありがとう、井原さん」

優しいっ。井原さん優しいっ!超優しいよっ!

「俺は伝書鳩か」
「メール確認する時間くらいあるだろ?」
「チッ…」
「ところでリアちゃん?一日何してた?」
「クローゼットにあったラップトップを勝手に立ち上げて、ネットサーフィンとデイトレ……ネットサーフィン?」
「「デイトレード!?」」

バレた…いや、バラした!?井原さん話しやすいから…つい……。

「未成年がデイトレード!?」
「まぁ今時ニートの稼ぎ口だからな」
「…逃亡資金でも荒稼ぎするつもりか」

…そこまでバレてるよ……私のバカっ!

「へぇ…見せてもらえるよね?」
「……はぃ…」

井原さんは優しい→黒かった。笑顔の威圧は怖いっ。
仕方なくパスを解除してラップトップを差し出す。井原さんが慣れた手つきで開いていくのを、甲斐征志郎はじっと見てる。

「…驚いたな……」
「何故、売りばかりのD物流を買う?ここはつい最近、新事業に失敗したばかりだぞ?」
「え、あ…石油事業が…」
「原油の高騰は収まったよ?」
「中東のI国の議長、きっともう長くないから…次の候補は乱立するだろうし……そうしたら原油産出が中東一で日本も依存してるから…」
「…次候補は現議長と違って穏健派はいないからね…読みは間違っていないかもしれない」
「D物流は石油事業大手の子会社を多く持っていたな…」
「青田買いでもないな、これは」
「…井原」
「わかってるよ、リアちゃんの読みに乗らせてもらおうかな」
「え?」
「開いたらすぐうちでも買い注文を出すよ」
「えぇ!?」
「金城鉄鋼をすぐに売ったのは何故だ?」
「え?だってここ…今やってる事業が輸出向けの…」
「原油絡みだね」
「手持ちの五割…いや、七割の売りの指示だ」
「すごいな、リアちゃん。デイトレードの仕組みなんてどこで覚えたの?」
「…お父さん…教えてくれて……」
「…そっか、ごめんね?」

二人ともハッとしてディスプレイから目を離す。視線に居たたまれなくなって、俯いた。









井原が何気なく口にした事でリアは俯いた。葬儀が終わったばかりで、納骨を待つ骨箱が位牌と共に並んでいる。

「…墓の場所は決まっているのか?」

弱々しく首を振る。

「…お墓は…ないけど、お骨はどうするか決まってる…から……」
「どうする?」
「来月の七日……ハワイの…」

両親が出会って式を挙げたオアフの沖…そこに還すのだと言った。逃亡資金よりも先にその為の旅費を作りたかったんだろう。

「井原」
「はいはい、前々日の四月五日から六日間はオフね」
「え…?」
「お前一人でそこまで辿り着けるわけないだろう?」
「征志郎はオアフにもクルーザー持ってるから大丈夫だよ」
「チケットの手配を頼む」
「征志郎は五ヶ国語話せるし。安心して任せるといい」
「………」

じっと俺を見上げてる。…不安げに…捨てられた子猫のように……。

「ちゃんと連れていって、ここまで連れ帰ってやる」

リアは大きく一つ頷いた。初めて見たリアの素直だった。

気を利かせた井原の話術にも、リアが本来の明るさを取り戻す事はなった。食事はいらないと部屋に引っ込んだまま。
井原は考えなしだった事を俺に謝罪し、改めて直接言うと残して帰って行った。

「入るぞ」

夕食のメニューを簡単にワンプレートに纏めて、多めに用意させたフルーツを別の皿に盛って、ミネラルウォーターのペットボトルとトレイに乗せた。
ドアを開けるとリアがベッドから顔だけを起こした。サイドテーブルを起こしてトレイを乗せるとベッドサイドに座る。

「タイミングが悪かったと井原が謝っていた」
「……井原さん…悪くない」
「デイトレードの話で折角ちゃんと話してくれてたのにってな」
「井原さん…優しい…」
「お前の前だからな。俺相手だとアイツほど鬼畜な秘書はいない……ほら、食っておけよ?」

手を伸ばして頭を撫でてやるとすぅっと目が閉じられた。この三年…こんな風に触れられる日を得る為に努力してきたってのに…!

「…冷めないうちに食えよ?」
「食べる」

名残惜しい気持ちをぐっと押さえて、手を離す。のっそりと起きあがってベッドサイドに座ると、テーブルを引き寄せてやった。
もそもそと食べ始めるが表情は冴えない。
明日にはリアの好きなものを用意させよう。お前がそれで笑うなら、何だって叶えてやる。俺はその為に登り詰めたんだ。

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