美しい月
着衣しながら扉に向かうサイードに、シーツを巻き付けただけの姿で追う。蜜月にサイードが声を荒げた事で、月離宮は騒然となった。

「サイード殿下!一体何が…」
「カシム!ミツキと付き合いがあった男を密かに攫え!攫ったら砂漠のど真ん中に身一つで捨てろ!」
「サイードったら!」

中途半端な着衣で、怒り任せに怒鳴り散らすサイードから命じられた事に、カシムは呆然とした。護衛兵たちも集まり、収集がつかない。しかもその後を追ってきた美月の姿に、侍女らが慌ててショールやら衣装やらで美月の姿を隠す。折角の蜜月に一体何をしているのか。頭を抱えたカシムは、大仰に溜息をついた。

「サイード殿下…それはさすがに呆れて物が言えません」
「カシム!これは至急命題だ!」
「ミツキ様が晒されてしまいます、まずはお部屋へお戻りを」

ハッとして振り返れば、侍女たちが壁を作って、あれこれ用いて隠してはいるが、身に纏うのはシーツだ。美月を庇うように抱き寄せて、急いで部屋に戻る。

「まず…神聖な蜜月に声を荒げたその至急命題の原因を窺います」

カシムは二人と共に部屋に入り、まるで説教でもするようにサイードと美月をベッドに座らせ、自身はその前に仁王立ちだ。

「…ミツキに触れられた男がいる」
「それはミツキ様も妙齢ですから、お付き合いした相手もおりましょう」
「それだけではない!ミツキに…娼館の女のような事までさせたのだぞ!」
「…………は?」

今度はカシムがたっぷり十数秒、首を傾げる。

「…ミ、ミツキ様?」
「だからっ…文化の違いだって…」

尻すぼみになる言葉に、カシムはしまった、と思った。日本滞在中、美月が案内役から外れてすぐ、日本人の恋愛や結婚についての文化や風習などについてを調べ上げ、美月を迎えた際にも戸惑いがないようにと、サイードと共にこれでもかと学んだはずだった。日本の恋愛映画なども見たし、その類がどこまで進んでいるかも確認したはずだったが…。

「…抜かったか…」

思わず口をついた。万国共通だと、サイードと共に勝手に思い込んでしまっていた。
シャーラムでは女が手口で男を愛撫するのは娼館の女のする事だと言うのが通説だ。しかし日本は違うのだろう。愛あればこその奉仕なのだろうが、それを知らないサイードが激怒するのも無理はない。

「申し訳ありません…調べが足らなかったようです」
「…日本では…それは当たり前、なのか?」

カシムが失意の余りしゃがみ込むと、サイードは険しい表情のまま美月に問う。

「当たり前、ではないと思うの…私も…出来ればしたくはないし…」
「なら何故触れた!?」
「それは…サイード、だし…サイードに自分で…させる、くらいなら…私が…」
「っ」
「……………」

そんな二人の様子にカシムは一人項垂れる。美月の言動から推察するに、それはやはり愛故の行為で間違いないらしい。日本…いや先進国は性知識に関しても先進国なのだと知った。

「自分からしたいと思ったのは…サイードだけ、だから…」

しゅんと肩を落とした美月に絆されそうになりながら、不意に「自分からしたいと思ったのは…」が、引っ掛かり、また怒りが再燃した。

「…つまり、俺以外はお前にそれをしろと強要したのだろう!?カシム!やはり攫え!砂漠に捨てる!」
「サイード!」
「俺のミツキに…っ」

また始まったサイードの激怒。普段から怒りはするが、美月が絡むとそれは激しい。激怒自体珍しいが、カシムはもう見慣れたような感覚に陥っていた。

「サイード殿下、出会う前の過去に嫉妬するなど…男として狭量極まりない。そんな事をする暇があったら、それを上回る時間を過ごすべきでしょう?ミツキ様が悪いわけではありませんし、単なる文化の違いです。お怒りになる暇があったら、少しでもその差を埋めるべく歩み寄る事が至急命題であって、ミツキ様に居た堪れない思いをさせるべきではありません」
「……チッ」
「そんな事に拘っていらっしゃると、ミツキ様が引いてしまわれますよ。やはり妻になれないと仰られても私はお止めできません」

ギョッとしたサイードが美月を見遣れば、美月は俯いたままだ。

「っ、ミツキ…すまない…気を悪くするな」

そっと抱き包み、あやすように背を撫でた。カシムはそれを見て静かに部屋を出た。侍女に部屋の入口で様子を窺っているよう言い付け、一目散に向かうのは自室だ。完璧な仕事を必定とするカシムの、初めて失態だ。この蜜月の間に、婚儀の式典の指示をしながら、サイードの妻となる美月の国の文化を一から全て調べ上げる。それこそ彼にとっては至急命題だ。その次辺りに美月の昔の男の調査をしよう。
サイードが求める前に答えを用意し、必要とされれば当たり前の如くすぐに提示出来るのはカシムの矜持でもある。

「二度と抜かるものか」

硬い決意と共にカシムは徹夜を覚悟した――。
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