プラスティック・ラブ
第二章 侮れない人

「センセの恋人って同じ年の人?」


大きな瞳をクリクリさせるこの小さなおしゃまさんは私の生徒。夏凛(かりん)ちゃん。
従姉の薫の友人の娘さんで、中学受験を控えているお嬢さんだ。
従姉に頼まれて去年の夏休みから週に一度、彼女女の家庭教師をしている。
受験生に受験生の家庭教師を頼む従姉もどうかと思うけれど
それをあっさり受けてしまう私の母も母だ。


「だって短大の推薦、大丈夫だって担任の先生が仰ってたし
ホラ、基礎の復習をオベンキョすると思ってv」


なんてまぁもっともらしく、私の肩を揉みながらにこやかに話す母は
夏の終わりに韓国の有名俳優の名がついたツアーに出かけていった。
たった2泊の、しかも社員とその家族限定の格安ツアーチケットで買収するあたり
さすがは従姉。しっかりしている。親に売られた哀れな私だけど
夏凛の母親である従姉の友人が、ぜひ私をと望んだのだと聞かされればやはり嬉しい。
そのお気持ちに応えるべく前向きな気持ちで引き受けることにした。


思春期にさしかかっているせいか、夏凛の興味は勉強よりも他にあるらしく
家庭教師の時間の3分の1は無駄話になってしまう。
それにつきあう私もいけないのだけれど
彼女は家庭教師など必要のないほどの学力で
私は親御さんの気休めに雇われているようなものだったから
受験を控えているにせよ緊張感に欠けてしまうのは仕方ない。




「え?」

「いるんでしょう?カレシ」


隠してもムダだよ?ママから聞いたし、と夏凛はにっこり笑った。
プロフィールに余計なことまで付けたしてくれた薫を
恨めしく思いながら私は小さくうなづいて「そう、同じ年」と答えた。


「かっこいい?」

「うーん。まぁ、それなりにかな」



それなりどころか、本当は相当かっこいいのだけれど
自分の「彼」の立場にある人をあからさまに褒めるのは
嫌味になりそうなので、ここはちょっと謙遜しておく。



「お隣のマサヤくん、より?」



『お隣のマサヤくん』というのは、文字通りお隣の住人で
私もここのエレベータや通路で何度か見かけた事がある
明慶学園の制服の彼のことだ。
こんにちは、という独特のイントネーションは関西のもので
夏凛を「お嬢」と呼んでとても可愛がっている。
長身で少し長めの髪に眼鏡が似合う二枚目なのに気取りがない、とくれば
嫌でも印象に残るものだ。



「うーん、どうかなあ。タイプがちょっと違うからなあ。
でも『マサヤくん』のが・・・」

「わあ、先生、ダメだよ!?マサヤくんは私のなんだから!」



可愛がってくれる優しくて面白いご近所のお兄さんを
素敵な王子様に変えてしまうのは乙女心のなせる業。
かく言う私にも似たような経験がある。そういう場合、往々にして
夢と憧れが幾重にも重なったフィルター越しの瞳に写る姿が
意地悪く言えば「あばたもえくぼ」なんて言えないこともない。
でもお相手があの「マサヤくん」なら、あばたやえくぼのレベルじゃない。
タイプが違うとはいえ、勇人のようなイケメンを見慣れている私がどきんとするくらいだから。



「はいはい。わかってますよ。大好きなんだもんね」

「うん!だからぜったい同じ明慶に入るの」



明慶は高等部と中等部が敷地こそ道を一本隔てた隣だけれど学舎は別だし
それに高等部を卒業してしまう彼と入れ替わりで中等部へ入学する彼女が
学園内で一緒になることはないけれど、それでも同じ制服に身を包み
彼と同じ学舎で彼の過した時間の軌跡を追いかけることで
何かを共有した気持ちになれるのだろう。
こんな可愛らしい子にそんな風に慕われたら
彼女を本当の妹のように可愛がっている『マサヤくん』だ。悪い気はしないと思う。
特別な感情がない人であっても出身校が同じというだけで
抱く親近感はまるでちがうものだから。



えへへ、とほんのり頬を染めて、差し入れのショートケーキを頬張る姿は
まだまだあどけない少女。恋する乙女と呼ぶには少し早そうだ。



「どうせなら家庭教師もマサヤくんにお願いしたほうがよかったんじゃない?」

「きゃあ、そんなのダメ!どきどきして勉強できないもん」



顔中真っ赤になって照れる彼女が可愛くて、少し羨ましい。
どんなに良いだろう。こんなふうに素直に想いを表せたら・・・



「先生、どうしたの?」

「あぁ・・・ごめんなさい。さぁ休憩おわり。次は算数ね」



いけない。集中しなければ、と私は背筋を伸ばした。
のんびり構えているけれど、入試はあと数日後に迫っている。


「えー。もう終わり?もっと話したい~」

「だーめ。もうすぐ入試なんだから」


終わったらいくらでもつきあってあげるから、と私は問題集を彼女の前に置いた。


「でも学校の先生も大丈夫だって言ってたよ?」

「うん。私もそう思うけど、受験に絶対はないの。
最後まで気を抜かないこと。マサヤくんと同じ学校に行きたいでしょ?」

「行きたいっ!絶対行く!」

「じゃ、頑張ろう。ね?」


うん!と体ごとでうなづいた夏凛は学習机に向かうと問題集を開いた。



私がこの『マサヤくん』と初めてまともに話をしたのは
それから間もなくの雨の日だった。


< 10 / 62 >

この作品のキーワード

この作品をシェア

pagetop