プラスティック・ラブ
成瀬勇人の滞在中、ホテルに泊り込むことになったと彩夏から聞いた時は
それは仕事なのだと頭では理解できても心中は複雑だった。
彩夏が成瀬に恋をしていたのは高校生の時だ。
しかも手も繋げないようなアホみたいに初心な、本人曰く片思いの恋だ。
俺が見た限りでは成瀬もまんざらではなかったはずだけど
彩夏が告ったら断ったというから人の心ん中は見かけからはわからない。
俺のカンが外れたのは気に入らないけど
そのおかげで俺は彩夏と付き合うことができたのだからいい。


あれから何年も経つ。
過ぎ行く年月で変わらないものなんてない。
人の気持ちも然り。
どれほど熱い思いでも時が経てば冷めて褪せていくものだ。
彩夏の思いが熱情から思い出に変わっていくのを
俺は見てきたのだ。彼女のすぐ隣で。
今の彩夏にとって成瀬はもう昔の同級生というだけでしかない。
その確信はある。しかし何故だか俺の中で引っかかっているのだ。
成瀬勇人という存在が。今でも。だから彩夏から話を聞いたとき
「何でお前が?」と口をついて出そうになった。
辛うじて堪えたものの、動揺した。


でも俺は彼女の仕事にどうこう言えた立場じゃないから仕方ない。
「出張」みたいなものだと無理やり納得させた一日目の夜は
いつものようにメールではなく、電話をかけてみた。


すると何度目かのコールの後で留守番電話に繋がった。
いくら24時間体制とはいえ、夜も9時を過ぎれば
電話に出られないほど忙しいということはないはずだ。
それなのに出ないということは・・・
何という確信があったわけじゃない。
ただ理由のわからない胸騒ぎがして、それにひどく煽られた。
そんな自分を持て余し、落ち着きなく部屋をウロウロとする姿は
動物園の熊みたいだと自嘲したところに携帯が鳴った。
俺はすぐに通話を繋いだ。
彩夏専用の着信音は三秒と流れていなかっただろう。


「すぐに来て」という彩夏の声は悲痛で力なくまるで別人のようだった。


「わかった。すぐ行くから」そう応えた俺は
携帯を繋いだまま部屋を飛び出して車に乗った。
信号待ちに焦れながら、タイヤを鳴らして着いたホテルのパーキング。
転がるように車から出てエレベーターに飛び乗り
彩夏の泊まっている部屋の扉が開いた時にはすっかり息が上がっていた。


「雅也!」


弾む息で上下する俺の胸に彩夏は飛び込むように縋りついてきた。
抱きしめた細い肩がかすかに震えている。


「どないした、彩夏。何があった?」


背を撫でながら繰り返し問う俺の心中は穏やかではなかった。
彼女の様子からしても良い想像などできない状況だ。


「抱いて。お願い」
「彩夏?」
「お願い!」
「彩夏。落ち着け」
「抱いてよ 雅也。お願い」


俺が何を言っても彼女は「抱いて」と繰り返すばかりで要領を得ない。
どうしたものかと、しばらく逡巡したけれど
俺は結局乞われるままに彩夏を抱いた。


いつになく積極的な彩夏は魅力的だったけれど
それを堪能する余裕など
この状況に疑問をかかえた俺にあるはずもなく・・・


それでも余韻に浸る体をピタリと俺に寄せ
腕の中に収まる彼女を問い詰める事も出来なくて
黙って髪を撫でて触れるだけのキスを何度も落とした。
いつもなら抱き合った後のこの甘やかなひと時は至福の時で
満ち足りた気持ちになる・・・はずだった。
でも今日は違った。


彼女が穏やかな寝息を立て始めたのを確かめて、俺は静かに部屋をでた。


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