プラスティック・ラブ
「それってさ・・・
 もしかして芦田君のことが忘れられなかった、とか?」


私の話を最後まで黙って聴いていた結那が 
どうよ?という眼差しを私に向けた。


「忘れられないんじゃなくて、忘れないわ。
 きっとこれからもずっと。
 雅也は愛されることの幸せと悦びを
 初めて教えてくれた大切な人だから」


そう。雅也との恋は偽りの恋なんかじゃなかった。
このまま一緒に穏やかに年を重ねていけたら
どんなに幸せだろうと思ったほど信頼していた人だ。
これから先も雅也以上に私を愛してくれる人はいないだろう。



「じゃ成瀬はどうなのよ?」

「世界の全てを敵に回してでも欲しいと思った人よ」



雅也の愛と信頼に背いて罵られても構わない。
この想いが叶うのなら、何もいらない。心から思って願った。
自分の中にこれほどの激情があるのかと驚くほどに。
理屈じゃなく、こんなに人を愛しいと思ったのは
後にも先にも勇人だけだ。



「それならどうして どっちとも別れちゃったのよ!」

「だって 分からなくなっちゃったんだもん」

「何が?!」

「自分の本当の気持ちが」

「ホントの気持ちって・・・あんた、今、何て言った?
 芦田くんに背いても成瀬が欲しかったって言ったじゃないの」

「そうよ。でもそうやって勇人と一緒に居て・・・
 そして分からなくなったの」

「はあ?」

「分からないまま 結婚するのは嫌だったの」


結那は はーーーっと大げさにため息を落として頭を抱えると
「・・・成瀬がキレるのも無理ないわ」と呆れたように呟いた。


私は苦く笑ってうん、と頷いた。
結那の言う事はもっともだ。反論も異論もない。
でも納得しないままで流されてしまうよりは
ずっとよかったと思っている。
失ってしまった温もりに寂しいとか惜しいとか
そんな思いがないわけではないけれど 悔いてはいない。


「勇人は私にとって憧れの王子様だったの」

「そんなの、今更言われなくても分かってる」

「私・・・たぶん 憧れの王子様からプロポーズされたことにのぼせて
 舞い上がっていただけなんだと思う」

「だけって・・・アンタ、好きじゃなかったの?成瀬のこと」

「うん。好きだったよ?でも それが愛情なのか、ただの憧れなのかが
分からなくなったんだって」



激しい思いに翻弄されて見失っていた自分の心の内が
一人になったことでようやく見えてきた。


私はどうしたいのか。どうするべきなのか。
本当に愛していたのは誰なのか、が。


もう迷いも戸惑いもない。
今はとても穏やかな気持ちだ。


自分の思いが見えたのに
それがもう叶うことはないのだ思うとやっぱり寂しい。
今もまだ一人咽び泣く夜もある。
気づくのが遅すぎた自分の愚かさを恨めしく思いながら・・・
どうしようもなく切なくて 温もりが恋しくて・・・


けれど後悔はしていない。
誰かに選ばされたのではなく自分で選んだ結論なのだから。



結那は「わっかんないわ!」と盛大なため息をついた。



「アンタって時々ホント わかんないわ」

「そう?」

「何かこう妙に理屈っぽいとこあるのよね」

「そうかなあ」

「で、別れてから成瀬には会ってないの?
 御園の仕事で日本に来ることもあったんでしょ?」

「うん。彼が仕事で御園に来たのは確か・・・
 別れてから4か月後くらいだったかな。
 また担当になるかもしれない。だから覚悟したわよ?
 でもその時は彼の担当はチーフだったの。私は外されてた。
 チーフは何も言わなかったけど
 何となく事情を察していたんだろうなと思う」

「それで成瀬とは何も話さず?」

「最後の夜に電話があって」

「で?」

「変わりないかって訊かれて変わりないって答えて・・・」

「そんな話は飛ばしていいから!すぐ本題行って本題!」



結那は早く早く!と急かしながら にじり寄ってきた。



「もう一度プロポーズされたわ。一緒に来て欲しいって。
 私の居ない毎日は虚しいって。だけど・・・ 
 やっぱり行くって言えなかった。好きだけど行けないって」


結那は はぁ~~とため息を吐いた。


「あの成瀬勇人にそこまで言われて頷けないなんて・・・
 どんだけ高慢ちきでロクでもない女なのよ?あんたはっ!」

「キツい・・・というかちょっと酷いわよ、それ」
 
「だってアンタ実際 ひどいわよ?好きだけど行けないって何?
 成瀬、可哀そう。いっそ嫌いだって言ってやるべきだわ。
 その方があいつだって吹っ切れるだろうし」

「そうかもしれないけど・・・
嫌いだなんて絶対言えない!嘘でも言えない」

「うっわ。なんて始末の悪い女!も~最低。
 実はもんのすごいタラシだったりして」

「結那。それホント言い過ぎ・・・怒るわよ?」



冗談よ冗談、と結那は私の肩を叩いた。



「まあ・・・アンタの気持ちもわかんなくもないけどね。
 アンタにとって憧れっていうより
 永遠の王子様だもんね、成瀬は。でもね・・・」


時には嘘も優しさだよ、と結那は苦く笑った。


「あのさぁ、もっとシンプルでいいんじゃない?好きか嫌いか。
 一緒に居たいか居たくないか。恋愛なんてそんなもんでしょう?
 のぼせて浮かれていたっていいじゃん。恋の始まりなんて
 そういうもんでしょ。大事なのはそこからなんじゃない?
 それがあっさり冷めるか、愛に昇華するかどうかっていうのは」

「そうよね・・・」


結那の言う通りだと私も思う。
勇人への想いは冷めなくても愛へと昇華することはなかった。
だから断った。今度は明確な意思を持って。


「そうよね、じゃないわよ?!そんなスカしてると
 すぐオバアチャンになって 誰も相手にしてくれなくなるわよ?」

「いいもん。拓と学がいるもんv」

「んな おバアちゃん 誰が相手にするかっての!」


ねー?と結那が抱き上げた天使はこの世に生を受けてまだ一年足らず。
「家族」を作りたがっていた石井夫妻の
待望のハネムーンベイビーは男の子の双子だった。
名前は拓と学。拓は結那に似て活発。学は石井君に似て穏やかだ。
すっかり子煩悩パパと成った彼の奮闘ぶりが目に浮かぶ。
愛らしい穢れない微笑みは知らず知らずのうちに見ている者の笑顔を誘う。

膝に抱いていた学の小さな手が伸びてきて私の頬にぺちぺちと触れた。
そのかわいらしい仕草に愛しい気持ちが胸いっぱいに広がっていった。
私もいつかこんなあどけない微笑みを胸に抱くことができるのだろうか・・・



「ホント 可愛いわね。赤ちゃんって」

「でしょ?彼と私の赤ちゃんだからねー。当然」


にっと笑った結那の幸せと自信に満ち溢れている表情が眩しい。
うらやましいと心から思った。


「私もいつかなれるかな。ママに」

「なれるわよ。なれるに決まってるでしょ!」

「サンキュ」

「ね、彩夏」

「んー?」


呼ばれた声に向けた視線の先には
いつになく真剣な結那の表情があった。


「今すぐにとは言わないけど、周りも見て欲しい。
 男は成瀬や芦田君だけじゃない。たくさん居るわ。
 人を好きになることにブレーキかけちゃダメだからね」

「うん」

「恋することを止めないで」

「わかってるって」



愛する事は悦びだけでなく痛みを伴う時もある。
どうにもならなくて苦しい涙を流すこともある。
それでも私はまた いつか恋をするだろう。
幸せになるために。



「でも今は・・・やっと見えた私の本当の思いに
無理やり終止符を打つことはないと思っているの。
もう二度と叶うことのない思いだけれど
自然に色褪せ失せて行くまで胸に抱いていたい。
その思いがきっと私を強くしてくれるから。
一人で歩いて行ける力と勇気をくれると思うから。
だから その時まで このまま・・・」


「彩夏」


頑張れ、と抱きしめてくれた親友の温もりと思いやりが
じんわりと染み入るように優しく伝わってきた。



結那と近いうちの再会の約束をして
彼女の車が見えなくなるまで振っていた手を
うーん、と伸ばして「よし」と小さく気合を入れた。




明日からは確か女子大生のグループの予約が入っている。
満室だ。気合いを入れて頑張ろう。忙しくなる。



・・・と振り返った私の目に背の高いシルエットが映った。



段々と近くなるその姿には見覚えがあった。
「嘘・・・」と思わず呟いて無意識に後退りしてしまった。




「・・・彩夏?」




私は その声に愕然として息を飲んだ。

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