徹底的にクールな男達
 閉まりかける玄関に、廊下から叫ぶ。

 それに気づいた武之内は、すぐに玄関に戻った。

「……私は、……」

 不安そうに眉を下げる武之内に、自分が悪いわけじゃないのに、まるで悪者にされているかのような気持ちにさせられた事が悔しくなったと同時に何故か、ひょっとしたら可哀そうなのはこの人の方じゃないかという気にもさせられた。

「……わたし……は……」

 武之内はじっとこちらを見ている。

 依子は、ようやく話をしなければ、という気持ちになり、

「話をしよう……中で」

 そう言って、自らリビングへ向かった。



 ダイニングチェアに面と向かって腰掛ける。

 ここでまともに食事をしたことなど一度もないことを再認識し、改めて自分の結婚生活とは何なんだろうと、目じりに涙が浮かんだ。

「本当に私は、柳原副店長とは何もない。

 仕事のことを相談しようと思ったのは、最後にレジから落とされたのが悔しかったから、時々仕事のことは相談してたから、その流れでしただけだし。

 それでまさか、東都のレジなんて言ってくれるなんて、正直嬉しかった」

「その話は白紙になると思う」

「………」

 さすがに、言葉が出ない。

 だが、負けてたまるかと、次の一言を出す。

「でも、仕事に戻ろうと思ったのは、後藤田さんに、離婚するなら自立しとけっていわれたからなの」

「えぇ!? まだ連絡とってたのか!!」

 本当に、信じられない、という顔をしている。

「だって、一生後悔させないって言われてたんだもん!!」

 武之内には言われなかったが、後藤田にはそう言われたんだ。

「言ってるだけだよ」

「そうかもしれない」

 それも、ちゃんと頭の隅ではわかっている。

「……」

 さすがに武之内は黙った。

「そうかもしれないけど、私が、離婚するって後藤田さんに言ったら、そう言い返してきたの」

「そんなもんだよ」

「そうだよ。私はこの人なら私のことを一生幸せにしてくれるんだろうと思って、離婚するって後藤田さんに言ったんだよ」

 武之内は頭を掻いた。

 その、他人事のようなしぐさが、耐えられない。こんなに重大な話をしているのに、まるで、部外者のような態度が。

「でも違った。そうやって考えてるうちは、人を頼りにしてるうちはダメなんだって言われた。だから私、自立しなきゃって思って仕事することに、決めたの」

「…話にならんな…」

 再び武之内は、身を引いて、声にならない声でつぶやいた。

「………そだね」

 そう思った。

 自分でもそう思った。

「私は別に、あなたが悪いなんて思ってない。

 あなたといると怖いとは思う。

 怒られるかもって思う。

 でもそれは私が勝手に思ってるだけで…別に私は、あなたが悪いなんて思ってない」

「同じだろそれ…」

「…………」

 息ができないくらい重い雰囲気になっている。

 武之内は、また胸ポケットをさぐり、タバコを出したところで私は、

「出てく」

 一言、切り出し、立ち上がった。

 武之内は、タバコをくわえたまま微動だにしない。

「ここでさ、ごはん一緒に食べたこと、一度でもある?」

 唐突に切り出してやった。

「…………」 

 武之内は、口から煙草を外したが、箱は手にしたまま、動かない。

「私さ……私だって、結婚生活は色々夢があって……。

 それに、近づくようにしたいと思ってて……」

 こちらを見ず、ただ、動かない武之内に、やけくそになって言った。

「だから私はあの日、ごはん作らなきゃって思って昼間買い物に行っただけなのに……。いつだってあなた子供子供って、それしか言わなかったじゃん!! 

 挙句の果てに誰の子だなんて……!!

今だって、こんな生活無駄だと思ってるけど、会社の手前もあるしと思ってるんでしょう!?

 今日だって部長に言われて、悪い印象与えたと思ってるんでしょう!?

 私が事前に相談しないから、会社での印象が悪くなったと思ってるんでしょぅ!?」

 言い返さないところをみるとやっぱり図星だったようだ。

「知らないよ。会社の印象なんて」

 武之内と視線が合いそうになったので、先に逸らす。

「いいじゃん。自分はモテるんだからさ。どうせ離婚したって、次に新しい人がすぐできるだろうし、本社の人落とせば簡単じゃん」

「……」

「次に……新しい……」

 言うつもりなかったのに。

 言いたくて仕方がない。

 私は病気なんだ、と。

 子供が出来にくい体だから、もう全部無理なんだ、と。

 あなたは次に結婚できたとしたって、私はもうできないんだ、と。

 だから、本当に……。

 頭の中がごちゃごちゃで何も分からなくなる。

 耐えられなくて、泣き崩れた。

 一通り、泣いている間、武之内はただ、頭を抱えて何かを考えているようだった。

 でも、泣いてしまえば、何も解決していないのに、妙にすっきりした気になる。

 1か月前、病室で頬を叩かれ、もう子供は産まない、離婚すると言い切った事が、なぜか鮮明に思い出された。

「出てく」

 そう言わなければ終わらない気がした。

 キッチンのドアノブを手にかけた時には、大粒の涙が自らの手に簡単に落ちた。

 出てくと言ったって、行先なんてない。

 自室として使っていた部屋に入り、クローゼットから引っ張り出してきた大きな手提げ袋に荷物を詰め込んでいく。

 体が震えるほど、作業に力が入らないほど、涙があふれてくる。

 ここを出て行ってしまえば、二度と結婚なんてできなくなるかもしれない。

 ひょっとして、今、ちゃんと病気のことを話して、いろいろ話し合えばなんとかなるのかもしれない。

 そんな思いがどこからか沸いてくる。

 この後に及んで、後ろ髪を引かれた。

 そのせいで、作業が中断しているのかもしれない。

 だから、扉のドアが静かに開いた瞬間、これがきっと、仲直りのきっかけになるのだと思った。

 だけど、

「………」

 武之内が無言で差し出し、テーブルの上に置いたのは。

 紛れもない、半分の欄がぎっしり埋まった離婚届だった。






 多分きっと、多分きっと、こんな道しか最初からなかったんだと思う。

 どこかでどうしてたらなんて、きっとなかったんだと思う。

 だってそんなもの、見つかるはずはなかったから。


 家を出てすぐ、21時にも関わらず、いつもの産婦人科病院から電話があった。

 スマホの向こう側では、子宮の細胞を検査した結果、癌になる可能性の高い細胞が見つかったので、早めに病院で治療の説明をしたいとの事だった。

 ただ、涙はとめどなくあふれた。

 それと同時に、離婚届を書く気にはどうしてもなれなくなった。
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