それでも、課長が好きなんです!
 腕を引かれ、もつれる足先を必死に奮い立たせ足を動かす。
 パンプスを履き外に出ると、冷たい外気が肌に触れて身が凍える。
 繋がった手の熱がやけに温かく感じる。

 穂積さんのこと、佑輔君のこと、色々なことを一気に告げられ頭が混乱している。
 分かることは、わたしは今穂積さん宅に向かおうとしているということだ。
 そしてまた、あの悲しみを味わうことになる。
 でも繋がった手を見つめると、恐くないかもと佑輔君の気持ちに甘えようとする自分もいる。

 ズルイ、という思いがわたしの足を止める。
 こんな気持ちで穂積さんのところへ行っても意味なんてないよ。
 行きたくない。

「わたしのためって言ってましたけど、ま、待つという選択肢はないのですか……?」
「待つ?」
「時間が経てば……気持ちだって変わるかも……」

 深みにハマるよう。
 ズルイという気持ちが自分の足を止めたのに、口から出る言葉はズルイ言葉ばかりだ。
 情けなくて大きく項垂れると、エレベーターのつく音がして手を引かれ乗り込んだ。

「待ってても、千明の気持ちは変わんないかなって思った」
「俺も中途半端にしか知らないし。また結局アイツのこと知らない、分からないことだらけのままになるんだろ? 全部知るまで、変わらないのかなって思った」
「……」

 佑輔君から家を出る際に持って出たわたしの上着を受け取り羽織った。

「俺が動いて真実つきとめてもいいけどさ、なんか卑怯かなって思ったし」

 そしてわたしの首にマフラーを巻きつけると、自分の上着を羽織る。

「だってまだ希望もあるわけだし」
「希望?」

 エレベーターを降りると同時に立ち止まる。

「もし、アイツに俺も知らない、千明が許せるようなワケや真実があって、何かの間違いで千明とアイツがうまくいったとしたら……俺は千明の幸せを応援するよ」

 「ま、ないと思うけど」とわたしに向かって意地悪な笑みを見せ片眉を吊り上げる。

「とりあえず、今は俺のことは忘れてよ。アイツのことを考えてよ。……どう?」

 どう?と言われても。
 わたしはしばらく沈黙した。

 穂積さんという人物は、思えば今までに出会ったことのない男性だった。
 あんなに男性に厳しく指導されたことなどなかったし、他の、特に年上の男性は愛想良く笑顔で接していれば次第に距離が縮まる。
 そうではない人はもちろんいるけれど、毎日顔を合わせていれば多少なりとも打ち解けることは出来た。
 でも穂積さんは毎日顔を合わせ、媚びても、愛想良く振舞ってもちっとも距離が縮まらない。
 冷徹で他人にばかり厳しい本当の鬼のような男性だったら、ただの嫌いな上司で終わったと思う。
 でも彼は、そうじゃなかったから……
 厳しくても怒るだけではなく人を引っ張るたくましさがあって、時折見せる優しさにちゃんとした温かさもあった。
 わたしの目には、今までに出会ったことがないくらいにカッコイイ男性に映った。

「うん……恐くても、穂積さんのこと知りたいです」

 簡単には諦められないくらいに、好きな人だから。

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