復讐
序章

どんなに喧騒とした街中でも、一本路地を入ってしまえば、そこは異空間だ。

耳をつんざくような酔っ払いどもの声も、近所迷惑も顧みず鳴らすパトカーのサイレンの音も、どこか遠いところから聞こえてくるような錯覚に陥る。

まぁ、近所迷惑といっても、この界隈に住居等はないのだが。


スーツの内ポケットから取り出したソフトケースの煙草が、まるで車に轢かれた蛙のようにペタンコになっていることに、多少の苛立ちは感じるが、構わず一本取り出し口にくわえた。

平べったくなった煙草を、指先で必死に丸く整えながらジッポで火を着け、空を見上げた。

煙草から出てくる真っ白な煙りは、ゆらゆらと空中をさ迷いながら上へ上へと昇っていく。


その先にあるのは、星の一つも見当たらない汚い空で、その下で暮らす人間はもっと汚れているに違いない。

なんで、こんな街に帰って来たんだろう。

彼はそう思うと、心底虚しく感じ、途方に暮れた。

気が付けば、足元は煙草の吸い殻だらけになっていて、さっき買ったばかりの箱の中は、最後の一本になっていた。


「おい、こうじ。こうじ。もう出てきていいぞ」


雑居ビルの隙間から、初老の男性が手招きをしている。

仲辻幸治はそれを見ると、最後の一本を口にくわえ歩き出した。

足元には、瓶ビールの空ケース、ガラスの破片、ダンボールや木の板、更には壊れた扇風機等が捨てられているのだが、幸治はそれらを軽々と避けてのけた。

「安田さん。今日は随分と長かったね」

「あぁ。あいつ等、なかなか帰らなくてな」

安田はそう言うと、幸治のズボンを叩き埃を落とした。

「ありがと。ねぇ安田さん。待ちすぎて煙草なくなっちゃったよ」

「あぁ、分かった。買ってこい」

幸治は安田から千円札を貰うと「ありがと」と言い、自販機に走った。

安田は、幸治の後ろ姿を見て小さく溜息をついた。
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