めぐる季節、また君と出逢う
15. 真冬 (3)
 「あ、もうこんな時間だ。」
テーブルに乗せた携帯電話を確認して羽田が溜息交じりに言った。口元を拭いた紙ナプキンでテーブルを擦りながら
「もう少し引き止めたいけど…明日の準備があるでしょ?そろそろ行こうか?」
そう言うと、紙ナプキンをハンバーグプレートの鉄板の上に置いて、携帯電話を尻ポケットに入れながら黒いダウンコートを抱えて立ち上がった。羽田は伝票を手にして駿太郎の仕度を待っていた。駿太郎はダッフルコートを着て、リュックを引っ張った。席を立つ駿太郎に「大丈夫?」と声を掛けて羽田はレジへ向かって行った。
 「お会計は別ですか?」
 とショートカットの可愛い女性店員が言う。「はい」と駿太郎は羽田の横から躊躇い無く言った。羽田は駿太郎を見て、女性店員に向き直り「ええ、そうしてください。」と答えた。懐かしい羽田の財布を見た。それは、黒いコードバンの財布で、内布がスカイブルーだった。高三のときだったか、羽田のその新しい財布をとてもいい、と駿太郎が言うと羽田は笑って「そうかな。迷ったけど買って良かったな。」と言ってコードバンの艶々した表面を撫でた。その時初めて駿太郎は羽田の手をまじまじと見たのだった。細く長い指だった。その手は、彼の爽やかな外見に似つかわしいような気もしたし、少年らしい彼の外見にどこか不釣合いな気もした。黒いコードバンのパンと張った革の隙間からみえる鮮やかなスカイブルーが、とても、羽田らしい、と駿太郎はその時思った。そのスカイブルーの内布の色は、今は少し鈍くなっていた。
 レストランの続きで、観てきた映画の話や最近観たテレビ、本の話をしながら新宿駅に着いた。(羽田の家ってどこだったっけ?)頭の片隅でそう思うけれど、話に花が賑やかに咲いていて、考えられないし言い出せないで居た。けれど、駿太郎の家路につく私鉄に乗ったときやっと「あれ?」と完全におかしいことに気がついた。

 「羽田…!羽田ぁ!?おまえんちって!?」
「何?」
「お前んちって…」
「うん。」
羽田は穏やかに笑っている。その目が「いいの、いいの」と駿太郎に言って、そして羽田は
「でね、さっきの続きだけどさ…」
と、何事もないように話を続けた。

 駿太郎の家の最寄の駅に着いた。電車がホームに滑り入った時、「もう、着くね…」と羽田が言って、二人は黙った。羽田の言葉は二人の手を引くように夜のホームに降りて、そして、二人の楽しかった時間は急行列車に乗ったまま夜の線路の先へと行ってしまったかのように二人は沈黙していた。静かにホームに降り立った。サラリーマンやOL達が足早に階段へと向かっていくホームで二人は向かい合った。駿太郎は、その場を立ち去る事が出来なかった。
 「友達に、戻れたらって思ったんだ。」
と唐突に羽田は言った。額にかかった前髪が電車が過ぎた後の遅れてきた風に揺れた。
「だけど、今日一緒にいて分かった。無理…だなって。」
駿太郎は、羽田のダウンコートのジッパーを見詰めていた。
「手、繋ぎたいとか…髪に触れたいとか、そんなの、トモダチに思われたら、やだろ?」
そう言って羽田は少し笑った。
「会うまでは、友達になれるって思ってたのにな…。映画見て、メシ食って、駅でバイバイして、また、明日とか、明後日とか、一週間後でも、二週間後でも良いけど、元気か?飯でも食おうぜってメールして…。すごい簡単なことだと思ったんだけど。案外難しいな。平賀、──?」
その時、ホームにまた電車が入ってきた。
「え…?」
「…ううん、なんでもない。明日から、長野なんでしょ?寒いだろうから、気をつけて…」
「うん…」
「俺、行くね。階段の上まで一緒に行こう。」

 どうして、羽田は駿太郎の気持ちを聞かないのだろう。もし、今、羽田に「俺の事どう思ってる?」って訊かれたら、自分は何て答えたらいいんだろう?羽田は友達だろうか?羽田とキスをしたり、抱き合ったり、できるだろうか?もし、羽田に「キスしてもいい?」って訊かれたら、駄目って言えるだろうか?

 階段を昇りきり、左手に改札が見える。羽田が帰る電車はまっすぐ上りホームへと下りる階段の下だ。羽田はもう一度立ち止まり微笑んだ。ダウンコートのポケットに入れたままの手を少し上げて、後ろ向きに何歩か歩いて上りホームの階段へと向かって行った。「羽田・・・」呼びかけて止める。呼んで、引き止めて、それで何を言うつもりなんだ?だけれど、駿太郎は、改札口へと足を向けることが出来なかった。電光掲示板があと数分で上りの急行がくることを示していた。駿太郎は急いで上りホームへ走った。こっちの階段を下りた、と思う方に走る。転げるように階段を下りて、ホームに目を走らせると、羽田が驚いたようにこちらを見ているのがホームの先に見えた。走り寄ると、羽田が泣き笑いのような顔で駿太郎に手を伸ばした。反射的に延ばした駿太郎の手を握り締めて、羽田は膝を折った。
 「だめだよ…平賀、どうしてこんなことすんだよ…」

 ただ、見送りに来た。それだけのことだったはずなのに、どうして羽田にこんな辛い顔をさせてしまうんだろう。これほどの事が大きな意味を持つほど、この男はどうして自分を友情以上に思うのだろう。会わなかった一年半、あるいはそれ以上の間、その月日は、人生において、長いのだろうか、あるいは短いのだろうか。彼が自分を想ってくれていた、青空のようなブルーが、夕闇の迫った空に変わってしまうくらいの、長くて、短い間。


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