めぐる季節、また君と出逢う
14. 真冬(2)

 羽田から電話があったのは、冬休みに入って直ぐだった。駿太郎は、この冬も秀春のペンションでアルバイトをしようと高科に誘われていて長野行きの準備をしていた。

「あ、平賀?」
「羽田ー、元気ー?」
「元気だよ、ありがと。今、平気?──あのさ、平賀、冬休み、いつから?」
「もう、冬休みだよ。羽田のところは?」
「うん、俺も今日終わったとこ。」
「そうなんだ、お疲れ。」
「今回は少ししんどかったよ。レポートが多くてさ。…」
 電話の向こうでかさかさと音がする。羽田は歩きながら電話をかけているようだった。駿太郎は何となくその物音を聞いていたが、ほんの少しの沈黙も嫌うように羽田が言った。
「な、冬休みさ、どっか遊びに行かない?俺らっていつも学校帰りに話すばっかりでどっか遊びに行ったことってないよなって思ってさ」
「ほんとだ、そうだね。出かけたことないよね。あぁ、でも、俺ね、冬休みの間ずっと長野なんだ。ペンションでバイトするの。明日出るんだ…」
「…あぁ、そっか…。」
 沈黙を嫌ったのは今度は駿太郎の方だった。羽田の声にどれくらい期待されていたかを感じたからだった。
「羽田、今、外にいるの?大学の近く?」
「あ?あぁ、うん。今、駅まで歩いてるとこ。」
「これから何か用事ある?なかったら…そうだな、新宿で待ち合わせない?俺、これから準備するから、んー、…4時前には着くと思うんだけど。どう?」
「あ、あぁ、うん。いいね。」
「うん。じゃあさ、待たせちゃうと思うからどこか入っててよ。それで携帯にメールくれる?メール、この前教えたよね?」
「うん。大丈夫。知ってる。」
「じゃ、後でね。直ぐ準備するから。」
「うん。分かった。待ってる。」

 羽田の、待ってる、という言葉が嫌にはっきりと聞こえた。駿太郎は意識して通話終了のボタンを押した。そうしなければ、羽田はいつまでも携帯電話を握り締めたまま電話を切れないだろうという気がしたからだった。
 駿太郎は、キャリーケースに中途半端に詰め込んだ衣服をそのままにして、急いで階段を駆け下り、忙しくシャワーを浴びた。ダイニングでワイドショーを見ている母親に「出かけるから。夕飯いらないよ。」と声を掛ける。ドタバタと音を立てて自分の部屋に上がった。お気に入りのシャツが、キャリーの上に乗っているのを見て、それを手に取った。髪がまだ濡れている。駿太郎はなぜこんなに気持ちが逸るのか自分でも不思議に思いながら、玄関のドアを開けた。
 駅へと歩きながら携帯を確認すると、羽田からメールが来ていた。
『急がなくていいからね』
 それは、先ほど駿太郎の電話を切って直ぐに打ったものらしかった。
『ちょー、急いでる(笑) 今駅に向かっているところ。うまくすれば3時半過ぎにはつけるかも。』
 駿太郎は携帯を尻ポケットに入れて足を速める。少し小走りすると、駿太郎のダッフルコートは冬の空気を抱いて撓んだ。暫らくすると、尻ポケットで携帯電話が震えた。駿太郎は駅の階段を昇りながら携帯を確認する。メールは二通来ていた。
『早いね。こちらはあと二駅で新宿。雨降りそうじゃない?傘持ってこなかった。降らなきゃいいけど。』
『新宿到着。とりあえず、東口のドトール行ってみる。混んでて座れなかったらまた連絡するよ。』
 羽田は小まめだ。(意外、でもないか)──駿太郎は携帯電話のキーを押す。 
『今、駅。急行が出たばっかみたい。でも次の急行が直ぐだから新宿到着予定は、』
 その時、携帯電話が鳴った。高科だ。
「もしもし?」
「あぁ?駿?びっくりした、出るの早いな?ごめん、間違えた。春叔父さんに電話しようと思ったんだ。」
「あぁ、そうなんだ。」
「うん。明日の時間、連絡しようと思ってさ。」
「そうか、うん。よろしくお願いします。」
「ん。じゃ、また後でな。」
「うん。」
(後でっていつだろ…?)
 どういう訳なのか、つい今のこの電話まだ高科のことを思い出さなかった事を思い出した。これは、高科に言っておいた方がよかったのではないか、と切れた電話を握り締めて思う。そして携帯電話の画面には羽田へのメッセージが中途半端なまま表示されていた。『今、---------』駿太郎はクリアボタンをトントントントンと押しながら急行電車に乗った。
『今、急行に乗ったよ。あと20分で駅に到着予定!ドトール、座れたかな?』
 中途半端な時間の電車は急行でも座れた。そこから20分の道のりを携帯電話とにらめっこで過ごした。まるで会話をしているようなくだらないメールのやり取り。つい笑みが零れる。
『座れたよー。二階、喫煙席だから煙い…。営業らしき綺麗なおねえさんの隣。綺麗な人なのにタバコを吸う姿がオヤジくさい(笑)』
『あちゃー。美人台無しだな。羽田は煙草吸わないの?』
『吸わないよ。平賀は?あ、おねえさん、鼻から煙があ~』
『鼻から煙・・・(呆) 煙草吸わないよ。あのね、前にいる高校生がすんごい斜めになって寝ている』
『あるある。俺もそんなことあった。部活の帰りかな。受験生かもね。女の子?男の子?』
『女の子だよ。受験生じゃないかな。膝に参考書みたいのが乗ってる。それともただの期末かな?あと一駅だよ、10分弱。』
『期末試験か。懐かしい響きだな。大学でも期末試験って言うのに何か違うよね。あと一駅ね。これ打っている間に到着するのかもしれないけど。気をつけて。』
『着いたよ。東口のドトール、向かうね。』
どんよりと曇った空を見上げた。(ほんとだ、降りそう)それから、ホームの階段を降りながら高科にもメールを打った。
『高校時代の友人と会って来ます。電話、』
“出られないかも”と打とうとして止め、それから“ま”と“す”、の間に“ー”(長音符号)を入れた。

 早足で来たせいか厚手のダッフルを着ていた駿太郎は店内に入り少し暑い気がした。ホットにしようかアイスにしようか悩んでアイスラテを注文する。駿太郎と同じ歳頃の女性店員が手馴れた笑顔で差し出したトレーからカップだけを手にして店内の奥の階段へ向かう。羽田のメールにあった通り階段の中ほどで煙い空気に突っ込み、自然と手を振りながら煙を除けて二階席に上がって行った。二階席の窓際に近い席に羽田がいた。
 まるで、知らない人のように見える。二人掛けのテーブルのソファ席に向かい、木製の椅子の背もたれに緩く凭れて携帯電話を弄っていた。そういえば高校生の頃は短髪だった羽田の髪は今は長めで、俯いた羽田の額に掛かっている。その前髪が少し影を作っているからだろうか、いつでもただ明るく元気がよい笑顔の爽やかな少年だった羽田の面影は薄らいで、そうかと言って大人の男とも言えない一人の青年がそこにいた。
 テーブルとテーブルの間の細い通路を割り込むように近づいていくと、人の気配に気づいた羽田は顔を上げ駿太郎を認めると携帯電話を持った手を上げ顔を綻ばせた。駿太郎は「お待たせ」と小さく頭を下げて、羽田の向かいの席に座った。テイクアウト用のカップに入れてもらったカフェラテに口をつける。
「今日、大丈夫だったの?準備とか、あったんじゃない?」
と羽田が携帯電話を横に置きながら心配げに尋ねた。
「うん。でも、帰ってからでも。どうせ直ぐ終わるから。」
ソファの背に寄りかかり、ほっとため息をついた駿太郎を一瞬黙って見つめて羽田は、
「煙いだろ?移動しようか?」
と気遣った。
「いや、いいよ。大丈夫。どこ行く?」
「あのさ、時間大丈夫だったら、映画でも観ない?観たい映画があってさ…」
「うんうん、いいね。」
「二つあってさ、…」
 その内のひとつは、高科と試験直前に観た映画だった。駿太郎はさり気なくもうひとつの方がいいと伝える。羽田はにこやかに「じゃ、こっちに、」と言って、待っている間に上映時間と映画館を調べておいてくれたらしく、携帯電話で時間を確認し「そろそろ出たほうがいいかも」と首を傾げた。駿太郎はもう一口ストローでカフェラテを飲むと、「出よう」と、半分以上入ったカップを手に持ち外に出た。
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