雪の足跡《Berry's cafe版》

『覚悟はあるのかよ』
『ヤギもフライングだよね』


 まさか、八木橋は私と結婚まで?、そこまで考えてたってこと?

 母のこともあるけど、結婚して八木橋のところに行くなら今の仕事も辞めなくちゃいけない。5年続けてようやく正社員になれた会社。長期休暇も取れるようになった。育児休暇ももらえるようになった。ボーナスも満額もらえるようになった。それを手放さなくてはいけない。八木橋と暮らすということは、こちらでの生活を全て手放すということ……。

 母はキッチンで夕飯作りを続ける。結婚って縁だという人がいるけどそうだと思った。したいと思って出来るものじゃない、縁も無いと出来ない、改めてそう感じた。ひとり娘の私と雪山で暮らす八木橋とは結婚なんて無理だ。八木橋が元カノと別れた理由がなんとなく分かった。

 ゲレンデの恋はゲレンデでこそ映える。格好良く見えていた男がウェアを脱いだら何とはない普通の男だった、なんて皆は言うけど、そうして終わる方が自然なんだ。ゲレンデの雪が溶けてもゲレンデの恋を維持しようとする方が不自然なんだと思った。

 八木橋が私とのことをそこまで考えてただけで胸がいっぱいになった。八木橋と会うのは辞めよう。もうあのスキー場に行くのは辞めよう。気を持たせることがどんなに酷いか知った今、八木橋の前に姿を見せることはしたくない。早く怪我を治して地方予選に万全な態勢で臨んでほしい。私のためにも、菜々子ちゃんのご家族のためにも全国決勝まで残って欲しいと思った。



 翌週、何処にも出掛けずパソコンの前にかじりつく。土曜日の予選の結果がネットに出るのを待つ。15時過ぎに現れた成績表には上から数番目に八木橋の名前が乗っていた。翌日の地方決勝もソワソワと待っているうちに携帯が鳴った。

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