月夜の逢瀬~皇太子様と紫苑の姫君~



差し出されたそれを拒む訳にはいかず、私は受け取ってから、ますます確信を得た。

──この、花は。

「……どうした?紫苑の君、気に召さなかったか?」

明るい反応をしない私に、音人様は少し困ったように言う。

「……いいえ。とても嬉しいです。ありがとうございます」

「……しかし、表情が優れないが」

取り繕ったような笑顔を貼りつけた私を心配そうに見つめてくれる音人様と、ここにいるのが切ない。

「……音人様、私はともかくとして……花など、安易に女に贈るものではございませぬ。……期待して、しまいますわ」

気がつけば、私はそう口に出していた。

言った後にはっとするけれど、もう遅い。

「……どういうことだ?」

案の定、音人様はきょとんとした顔をされていて。

……やはり、深い意味などないのですよね。

一瞬でも変な期待を抱いてしまった我が身を恨めしく思いながら、口を開いた。

「この花……桔梗(ききょう)の花ですが、これの花言葉をご存知ですか」

「……花言葉?」

まるで初めて聞く単語を反芻するかのような音人様。

私は必死に上を向いている桔梗の花を見つめ──言う。


「『深い愛情』……です」


一瞬、静寂が舞い降りて。

「『深い愛情』……か」

やがて、音人様が口を開かれた。

「知らなかった。そんな意味があったのか」

……ちくり。

胸の奥が、小さな痛みを訴える。

「……そうなのです。これを贈られたら、愛の告白なのかと、勘違いしてしまう女は沢山いると思いますわ」

「……なるほど、そうかもしれないな」

興味深そうに頷く音人様を見ていると、さらに痛みが増してしまいそうになって、そちらから目を反らした。

……音人様が、私に、そんな意図をもって下さるはず、ないのに。

「……それだけではありませんよ。花言葉にも色々あって、逆に想い人に贈るには相応しくない花もあるのです」

痛みを誤魔化すように、さらに話を続けた。

「例えば、鳳仙花の花言葉をご存知ですか」
「鳳仙花……いや、知らないな」
「ふふ、実は、『私に触れないで』なのですよ」
「『私に触れないで』か……確かに、いやこれはなかなかに酷い」


愉快そうな音人様の声が、すぐ近くにある。

「でしょう。鳳仙花など贈られたら、誤解を生んでしまいますわ。他にも、紫陽花は『冷酷』、花一華は『見捨てられた』、瑠璃は『失望』など……。花をお贈りになる時はご注意下さいね」

「……確かに、気をつけなければなるまいな」


そう言って、愉快そうに笑う音人様の笑顔がまっすぐに見れない。

「紫苑の君は、随分花言葉に詳しいのだな」

「ええ。小さい頃から沢山の花に囲まれておりますし……ほら、そこの山にも、沢山生えているのですよ」

中庭の方を示すと、「ほう、なるほど」と口を開きながら、音人様は少し襖を開き、中庭を覗く。

「中庭にも、いくらか花が生えているでしょう?」

私が背中に声をかけると、音人様はもう少し襖を開き、私にも見えるようにした。

それから、おもむろに濡れ縁に降りて腰を落ち着け、振り向くと自分の隣を示して手招きする。

私は少し迷ったけれど、一瞬おいてそこに座った。

「良い眺めだな……」

音人様が、目の前の景色を眺めながら言った。

ここからは、広い中庭(と言ってもつくられたものではなく、山の中に自然に出来たものだけど)と、その奥の木々や山脈が一望できる。

今宵は月夜だし、花々や草の露までもが優しく照らされて、美しい景色になっていた。

ふと、手元にある桔梗の花に意識が向かった。

せっかくのお花だもの、何か生けられるもの……。

上半身だけを部屋に向けて、きょろきょろとしていると、音人様がそれに気付いて不思議そうな目をする。

「どうした?」

「花瓶がどこにあったかと思いまして……このお花を生けてあげたくて」

私が言うと、彼はじっと桔梗の花を見つめて……それから、さっと私の手から取り去った。

……あ……。

そうか、『深い愛情』を花言葉にもつ桔梗の花を、私などに渡したくはないと……。そういうことなのでしょうか……。

俯いた私を余所に、音人様は静かに花をじっと見つめられて、それからこちらに身を乗り出した。

隣に座っていると言っても少しは開いていた間が、音人様がそうされたことによってなくなってしまう。

私の身体の横に手をおかれ、至近距離で覗き込まれている意味が理解できない。

「あ、あの……?」

桔梗の花からどうしてこうなったのかと錯乱状態に陥りながら、出てきた声はか細くて。

しばらく静かにそのままでいた音人様だったけれど、おもむろにその指で顎を掬い上げられる。

すっ……と、右のこめかみにくすぐったいような感覚が走って。

思わず瞑っていた目を開くと、まず微笑んでらっしゃる音人様が目に入る。

左手で右のこめかみを探り、そこにあるものを触る……これは。

「……やはり、よく似合っている」

私の髪に桔梗の花をさされた音人様は、そう漏らして微笑んだ。

同時に、乗り出されていた身体をもとに戻されたので、少しほっとする。

「あ、あの……」

この花の花言葉をご存知なはずなのに、私にこんなことをされてよろしいのですか、など、言いたいことは沢山あるのに何も出てこない。

そのまま、音人様を見つめていると。

「花を取るのは許さんぞ。そなたに似合いそうだと摘んできたのだから、今宵はそのままにしてくれ」

「は、はい……」

回らない頭で否定も出来ず、そう言って黙り込んだ。

……頬が熱い。


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