幸せになるために
「比企さん、お昼ですよ~…」


耳元で囁かれ、オレはハッとした。

と同時に、今自分は職場にいて、カウンター内側の端末機の前に腰かけていたのだという事実を認識する。


「ご、ごめん。ボーっとしちゃって」


オレは声をかけてくれた同僚に謝罪しながら慌てて立ち上がると、キャスター付きのその椅子を相手が座りやすい角度にして差し出した。


「あ、ありがとうございます」


同僚が礼を述べつつ腰を落とした所で、ちょうど数冊の絵本を手にした30代前半くらいの女性がカウンターへと近付いて来たので、お互いそこで会話を止め、自分のやるべき行動へと移る。

昨夜は結局あのまま、泣き疲れて眠ってしまった。

朝起きて、ビクビクしながらリビングの聖くんの様子を伺ったけれど、彼はまだ夢の中にいて、オレが朝食を摂ったり身支度を整えたりして音を立てていても、一向に起きる気配はなかった。

若干腫れぼったい顔を見られずに、そして言葉を交わさずに済んで、心底ホッとしながら出勤したのだった。

あまり寝つきが良くなかったという事と、昨日ケガした箇所が案の定と言うべきか、打撲特有の痛みを発していて、バリバリ体調不良の中、どうにかこうにか仕事をこなしていたのだけれど、いつの間にやら窓口交替の時間になっていたらしい。


「何か比企さん、今日は心ここにあらずって感じじゃないですか~?」


同じく、先ほどまで隣の端末で利用者の応対をしていた渡辺さんが、出入口付近でオレを待ち受け、心配そうに声をかけて来てくれた。

そのまま一緒に廊下に出て、同じ階にある、スタッフ休憩室目指して歩を進める。


「珍しい事もあるもんですよね~。何かあったんですか?」

「あ、い、いや…」


肩までの、天然パーマを活かしたふわふわとした栗色のボブカットで、モコモコとしたカーディガンとロングのフレアースカートといったフェミニンな服装を好む渡辺さんは、ちょっぴりぽっちゃりとした体型と相まって、『夢見る夢子さん』的な印象を人に与えるけれど、実は超リアリストで姉御肌で、クールでシビアな面を合わせ持つ女性であった。
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