やくたたずの恋
 こちらを見る志帆の視線に耐えられず、恭平は手で顔を覆った。ジン、と音を立てて、顔が赤らむのが分かる。
「今日はもう帰れ。頼む……帰ってくれ」
 恭平が声を絞り出すが、志帆は動こうとはしない。それどころか、恭平の手を引き剥がそうと必死になっていた。
 火事場ならぬ、修羅場の馬鹿力。勢い余って仰け反るほどの力を込め、恭平の手を顔から外す。そして現れた彼の顔を見れば、思わず吹き出してしまった。
「ちょっと……どうしたの? 恭平ったら、すっごく変な顔してるわよ。ウブな男の子みたい」
 志帆に言われ、恭平は背後にあるブラインドのスラットを指でこじ開ける。拉げた菱形の窓に、自分の顔を映し込んだ。
 そこには、「おっさん」の姿はない。「恋、始めました」と顔じゅうに書いてある、初恋中の少年。そんな表情をした自分が、黒い背景の上に浮かんでいた。
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